報ステが「9条押しつけ論」に反論。憲法制定過程に関する動画・資料を集めてみた。9条だけじゃない、25条生存権も日本側のオリジナル。

憲法9条は誰が発案したか

昨日2月25日の報道ステーションが 「憲法9条押しつけ論」を検証する特集を放送した。

「独自・総理と祖父“改憲の原点”・「岸時代の調査会」肉声発見」
今回発見した音声データには憲法調査会が開いた公聴会でのある証言が残されていた。憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏のものだ。
音声データには、中部日本新聞元政治部長・小山武夫が「第9条の発案者に限定した質問に、幣原総理は「私がマッカーサ元帥に申し上げて第9条の条文になった」とはっきり言った」との公聴会での証言が残されていた。
調査会はGHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも書簡で直接証言を得ていた。
木村草太・首都大学東京准教授は締めの発言で「押し付け憲法論のまま思考停止している人が多くいる。今の憲法に憎しみを持ってる方はそれを解放しないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。これをまず自覚すべきだと思う。」 とコメントした。

私自身は残念ながらその放送を見ていないが、憲法制定過程に関する動画・資料を集めてみた。
まずは、昨日の報道ステーションの放送内容。

総理と祖父“改憲の原点” 岸時代の調査会肉声発見 (約17分間) 報道ステーション

他にもいくつかweb上にアップされている(注1)。

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ついでに、憲法制定過程に関する動画や資料も集めてみた(注2)。

日本国憲法誕生 全編

日本国憲法 誕生の真相 ~ 映画「日本の青空」(30分ダイジェスト) Truth of “The Birth of the Constitution of Japan”
「日本の青空」は、終戦後の憲法作成に尽力した鈴木安蔵(YASUZO SUZUKI)という在野の憲法学者(Constitutional scholar)を描いた映画です。
ストーリーは女性編集者(田丸麻紀)が鈴木安蔵の足跡を取材する、というかたちで描か­れています。

さて次に、憲法9条は幣原が提案したという話に戻します。

幣原喜重郎はなぜ平和条項を提案したのか。マッカーサーはなぜそれを受け入れたのか。そしてGHQはなぜ憲法制定を急いだのか。

報道ステーションが独自という「音声テープ」が放送されるのは初めてかもしれませんが、「憲法9条は、幣原総理が発案した」という事自体はかなり有名な話です。
戦前の大日本帝国から生まれ変わった日本、平和主義日本を国際世論にアピールする、その事によって、天皇の戦犯追及と天皇制廃止を免れるという点で、幣原とマッカーサーは意見が一致しました。

いわゆる「平野文書」(注3)は以前から知られていました。
かなり長い文書ですが、その中から一部を引用しておきます。(全文はリンク先を)

幣原喜重郎元首相が語った 日本国憲法 – 戦争放棄条項等の生まれた事情について 「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」
問  よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。
答  そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。
 幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。
 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
 豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。
 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君[13]にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

要するに、憲法9条と象徴天皇制はセットというわけだ。

日本国憲法の制定過程(その9) 深謀遠慮の首相幣原喜重郎というサイトでは、幣原が改正憲法に戦争・戦力放棄条項を入れることにどういう意図をこめたかが検証されている。

 第一の意図は、天皇制の存続である。
 第二に、しかし、天皇から軍事的政治的実権を剥ぎ取ったうえで存続させるということを日本側から発案することは実際的には不可能であった。そんな提案を内閣がすれば、頭に血の上った連中が内閣は国体と祖国を売り渡す売国奴であるという猛反対をすることは目に見えており、大混乱に陥るであろう。そこで、幣原は戦争・戦力放棄をGHQから出させようと考えた。 
 第三の意図は、理想として世界に軍備廃絶による恒久平和をもたらすために自発的戦争放棄国となるという掲げつつ、緊迫の度を増しつつあった資本主義と共産主義の戦場に、日本が米軍の尖兵として引っ張り出され、血を流させられることを未然に防止することであった。

詳細はリンク先記事をお読みいただきたい。
リテラにも面白い分析がある。

改憲に動き始めた安倍首相の「押しつけ憲法論」は嘘だらけ! GHQ支配の元凶は自民党とお前のじいさんだ!
 当時の政治指導者が単に戦争放棄という理想主義に燃えただけではなく、さまざまな思惑や深慮遠謀に基づいて、9条の挿入を提案したのがよくわかる。安倍にもぜひ読んでもらいたい。
幣原にとって最大の眼目は天皇制の維持安泰だった。これは「占領に天皇を利用する」というマッカーサー(アメリカ側)の思惑とも一致していた。だが、アメリカ以外の連合国は天皇の戦争責任追及を強く求めていた。天皇がいる限り、日本が再び軍国主義化する可能性があるのではないかと恐れていたのだ。そこで幣原はマッカーサーに戦争放棄という突拍子もない提案をする。戦力不保持を宣言すれば、 天皇制が残っても日本は二度と軍国主義化することはない。いぶかるマッカーサーを幣原はじゅんじゅんと説く。
 原爆という新兵器が登場した以上、いままでのような軍備は役に立たない。最終的に各国は世界同盟のようなもの溶け込んでいくしか平和を維持する方法はないのではないか−−−−−いまでいう国連中心主義の理想である。これを聞いたマッカーサーは感激し、幣原の提案を受け入れることにした。だが、敗戦国の日本からこれを言い出すのははばかられる。日本国内を説得することも不可能だ。そこであえて、GHQから“押し付け”られた形にしてもらうことにしたというのだ。なんたる“謀略”(笑)。
 安倍との役者の違いが分かるだろう。
 しかも、幣原にはもう一枚、秘めたる意図があったという。それは緊迫化する米ソ冷戦において日本の青年がアメリカの尖兵になるのを防ぐことだった。朝鮮戦争の勃発後、マッカーサーは幣原に嵌められたことを悟るが時すでに遅しだった。9条という“押し付け”られた防波堤の存在によって、日本の戦後復興と驚異的な経済成長が成し遂げられたことはすでに書いた。これが国際政治の駆け引きというものなのだ。
 翻って安倍政権は、これとまったく逆のことをやっている。自衛隊員を守るどころか、アメリカの戦争に差し出そうとさえしている。それで得られるものは実はなにもないというのが新安保法制の実体だ。

以前の記事【「押しつけ憲法論」のでたらめ – 自民党改憲漫画パンフがひどすぎる】で、なぜ、幣原とマッカーサーは憲法に平和条項を挿入したのか、なぜマッカーサーは憲法改正を急いだのか、を次回書くと宣言しましたが、他にも書くべき事が多くて(^ ^ ; なかなか書けないでいました。
この際なので、ここで書いておこうと思います。

1945年12月16日からモスクワで始まった米英ソ3国外相会議で、極東諮問委員会(FEAC)に代えて極東委員会(FEC)を設置することが決まり、FECが対日占領政策の最終決定権を持つことが決まり、マッカーサーはFECの下に置かれ、その決定に従うこととなり、そのFECが46年2月26日から活動を開始することになったことが最大の要因である。FECには天皇の戦争責任や天皇制の存続に対して極めて厳しい態度を示しているソ連やオーストラリア、ニュージーランド、フィリピンのような委員もいたが、マッカーサーは天皇制を存置することが占領政策を円滑に進める上で必須の要素と見なしていたため、FECが活動を開始する前に、憲法改正の大綱を定め、既成事実を作ってしまうことが得策だと考えたのである。
 つまり、マッカーサーと日本政府とは天皇の安泰と天皇制の存続という点で利害が一致しており、それがマッカーサーがGHQ草案を作り、日本政府が受け入れた一番の理由であった。しかし、GHQ草案の受け入れにはもうひとつの隠れた目的があった。それは、保守派政治家の生き残りの手段であった。実際、ホイットニーは2月13日の会談において、「マッカーサー将軍は、これが、数多くの人によって反動的と考えられている保守派が権力に留まる最後の手段であると考えています」と述べているが、この頃、進歩党は前代議士274名中260名、自由党は45名中30名が第一公職追放令(46年1月4日)により追放されていた一方で、急速に勢力を伸ばした共産党は、社会党との人民戦線結成を模索していた。危機に陥った保守派政治家にとっては、思いきった改革案を提示する以外に、選択肢はなくなっていたのである。そして実際、GHQ草案を基にした政府の憲法改正草案が3月6日に発表されると、「改革の機運を先取した」保守政党は支持を集め、4月10日に行われた総選挙では、自由党が躍進し、政権を獲得した。したがって、GHQ草案は単に占領軍の圧力によって押し付けられたというよりも、保守派政治家の生き残り策として受容されたのである。さらに経済界も、政府の憲法草案について、日本社会の社会主義化を防ぎ、天皇制護持と資本主義存続という点で「大きな枠がはめられ、将来に対する一応の見透しがついた」として歓迎した(小熊英二『民主と愛国』160-161頁)。
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20130601/1370051679
(リンク先サイトはなぜか削除されています)

極東委員会(FEC)の設置前に、日本が生まれ変わった事をアピールできる憲法改正の道筋にめどをつける必要があった。

・年表は以前の記事参照。
1946年2/22 閣議、GHQ草案受入れ決定。
1946年2/26 極東委員会、ワシントンで第1回会議(11か国で構成。ソ・豪・英、天皇制廃止を主張)。

天皇の安泰と天皇制の存続、保守派政治家の生き残りの為に、マッカーサーは幣原の提案を受け入れ、日本政府はGHQ草案を受け入れた。
日本国憲法は押しつけだと主張する安倍自民は、その「押しつけ」のおかげで、自分たちの先輩である保守政党・進歩党や自由党が生き延びた事をどう見ているのであろうか。
今の憲法よりもさらにラディカルでリベラルな(例えば天皇制を廃止して共和制の国にするとか)憲法が制定され、保守政治家が追放され、共産党や社会党が勢力を伸ばした方がよかったとでも ? 。

9条だけじゃない、第25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」も日本側のオリジナル。

「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」はGHQの原案にはなく、日本側が日本の民間団体、鈴木安蔵、高野岩三郎らの「憲法研究会」の憲法草案要綱にあった内容を盛り込んだものです。
以前の記事【「押しつけ憲法論」のでたらめ – 自民党改憲漫画パンフがひどすぎる】では一言しか触れませんでしたが、この点についてももう少し補足しておきます。

生存権の規定は次のようになっています。

GHQ草案
第二十四条 有ラユル生活範囲ニ於テ法律ハ社会的福祉、自由、正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案サラルヘシ
自由、普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ
児童ノ私利的酷使ハ之ヲ禁止スべシ
公共衛生ヲ改善スべシ
社会的安寧ヲ計ルヘシ
労働条件、賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ

憲法草案要綱
一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス

日本国憲法
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

読んでいただいてわかる通り、日本国憲法の条文は「憲法研究会」憲法草案要綱の表現にかなり近く、GHQ草案に比べてより根本的な規定といえる(注4、注5)。
なお、wiki「日本国憲法第25条」では、憲法草案要綱ではなく”旧日本社会党議員であった鈴木義男らが、ドイツのワイマール憲法第151条第1項を参考に起案した”となっているが、上記条文を見る限り、憲法草案要綱の条文に近いと言っていいと思う。
いずれにせよ、日本側の発案である事には違いない。

二院制や議院内閣制も日本側の主張が取り入れられたものであり、GHQ草案がそのまま日本国憲法になったわけではない。
また「憲法研究会」の憲法草案要綱自体が、GHQ草案に大きな影響を与えた事は以前の記事↓に書いた通り。
その点でも、憲法は単純な「押し付け」とはいえないと思う。


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・注1
岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見 (約17分間) 20160225houdoustation

憲法9条は幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案であった (約5分間)

報道ステーション 2_2 2016年2月25日 (約37分間)

・注2
ほかにも。

日本国憲法の草案はメイドインジャパン 2007年2月放送
現行の日本国憲法はアメリカの押し付けだ、という定説は改憲派の論拠のひとつになって­いる。たしかに、GHQ草案をベースに現在の日本国憲法の原案(大日本帝国憲法の改正­案)が日本政府によって作られたことは歴史的事実ではあるが、番組はそのGHQ草案の­1ヶ月以上前にすでに日本の民間人による独自の憲法草案が存在し、その草案が逆にGH­Q草案にも影響を与えた可能性を指摘した。

「日本国憲法を生んだ密室の九日間」(1993.2.5 放送)

20140802 講師:鈴木昭典さん「日本国憲法はどのようにして生まれたのか~制定当時を知るジャーナリストが語る」

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憲法制定過程に関するものではないが、憲法を知る上で。
この類いのものは、山のようにあるので、その中からふたつ。

小林節 慶応大学名誉教授、長谷部恭男 早稲田大学法学学術院教授 「憲法と安保法制」① 2015.6.15
集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について、憲法学者の小林節、長谷部恭­男両教授が話し、記者の質問に答えた。
司会 星浩 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)

憲法を踏みにじって憲法の上に存在する「日米地位協定」について。
「日米地位協定」 沖縄と本土のどうしようもない“溝”/報道ステーション
http://www.at-douga.com/?p=14117

・注3
「平野文書」の全文はこちらのサイトにもあります。
http://kenpou2010.web.fc2.com/15-1.hiranobunnsyo.html

「平野文書」とは

幣原喜重郎元首相が語った 日本国憲法 – 戦争放棄条項等の生まれた事情について 「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」より
 1946年(昭和21年)に公布された「 日本国憲法にほんこくけんぽう」の誕生に関わり、とりわけ「戦争の放棄」を謳った第九条の成立に大きな役割を果たしたとされる 幣原喜重郎しではらきじゅうろう [1]元首相が、亡くなる直前に戦争放棄条項などが生まれた事情などについて語っている。
 聞き手は衆議院議員であり、幣原の秘書官であった平野三郎[2]で、聞き取りは、幣原が亡くなる10日ほど前の1951年(昭和26年)[3]2月下旬に行われたとされる。
 幣原は、『口外無用』として平野に語ったとされるが、平野は、「昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにした」とし、『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について』と題されたその文書は、1964年(昭和39年)2月に憲法調査会[4]事務局によって印刷に付され調査会の参考資料として正式に採択された。
 これが、いわゆる「平野文書」で、現在は国立国会図書館憲政資料室に保管されている。

・注4
http://cojmow.jimdo.com/日本国憲法全般についても-その生みの親は日本人/
“GHQ草案には生存権は書かれていなかった。日本人の議会メンバーがGHQ草案について討議し、いくつかの条文に修正を加え、新たな条文(25条)を加え生存権を復活させるなどして、現在の日本国憲法ができた。”
http://cojmow.jimdo.com/登録申請予定の資料群及び参考文献のリストとそれらの内容紹介/

・注5
憲法草案要綱の条文についてはこちら
http://kanzengoken.com/?page_id=861

・補足 こちらも
日本国憲法誕生の真実
http://www.magazine9.jp/interv/koseki/koseki.php

国立国会図書館 日本国憲法の誕生
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

[ 2/27 追記 ]
報道ステーションの特集に内容を全文書き起こしてfacebookで公開されている方がいらっしゃいます。


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報ステが「9条押しつけ論」に反論。憲法制定過程に関する動画・資料を集めてみた。9条だけじゃない、25条生存権も日本側のオリジナル。” への2件のフィードバック

  1. 質問です
    報道ステーションの上記放送の中で
    女性の坂西しほさんが「男の方は立場がかわれば……..」と語っていた場面があったと思うのですが ネットにアップされてる部分にはなく 番組の冒頭で流れたのか 私の記憶ちがいが 悩んでいます。冒頭をから録画されていたら 教えてください!

    いいね

  2. 私はリアルタイムでは見ていません。なのでスミマセンm(_ _)m、ネットにアップされている録画の前後の事はよくわかりません。
    どなたかわかる方がいらっしゃればコメントください。

    いいね

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