辺野古新基地、国と県が和解。しかし国は「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩さず。- 米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

辺野古問題で国と県が和解、工事中止へ

今日3月4日、国と沖縄県双方が訴訟をすべて取り下げるという「和解案」を受け入れた。
これに伴って、辺野古での工事は一時中止となる。工事中止は暴力に屈せず闘ってきた成果と言えるだろう。
しかし一方で、最終決着はどうなるのか、なぜ国は和解を受け入れたのか、疑問に思う声も多い。
国側の受け入れ決定は、明らかに、時間稼ぎと県議選・参議院選にむけての選挙対策だ。
もうひとつポイントは、「最終的に再度訴訟になった場合には、その司法判断に双方が従う」という点だろう。
政府は、受け入れに際しても「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩しておらず、工事を断念する可能性は極めて低い。
再び裁判となった場合、今の司法の状況で、国側敗訴の可能性も極めて低い。
どちらが敗訴しても、双方それに従うという「時限爆弾」を国は合意の中に潜り込ませた。

琉球新報 <社説>代執行訴訟和解 新基地 根本から問え 「辺野古が唯一」は本当か ・[ 追記 ] 参照
 仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である。
 真の意味での仕切り直しの好機である。海兵隊は、普天間代替基地は必要か。百歩譲って必要としても、「辺野古が唯一」とする軍事的理由はない。「沖縄の海兵隊」という思考停止の見直しが必要だ。そこからしか真の解決は見つかるまい。

再び裁判となり、その裁判が結審するまでには1年以上かかると言われている。
それまでの間に安倍政権を取り替えるしかない。
国民の意志に反する政権を別の政権に取り替えるのは国民の権利だ。
安倍自民に代わってどのような政権が誕生するかにもよるが、沖縄県民の民意を尊重できる政府を。
その点でも参議院選と同時、ないしは直後に行われる衆議院選挙の意義は大きい。
やっと動き出した野党共闘は、衆議院選挙での共闘にも原則一致し、安保法制廃止に加え、(1)格差是正(2)消費税増税(3)原発再稼働(4)沖縄の米軍基地問題-などのテーマで共通点を探ることで大筋合意した。
この流れをぜひとも大きくしよう。

さて、ここまでは前置き。今回の主題は、、、、
前回記事では、普天間・辺野古問題で、日米安保村の官僚は時の総理・鳩山元首相すら騙すということについて書いたが、今回はその続きである。
日本の官僚は、米軍基地を沖縄に引き止めるためには、時の総理大臣すら公文書を偽造してまで騙す、という事について書いた。
安保村の官僚・政治家が、米軍基地を日本に、そして沖縄に引き止めたのは今回が初めてではない。

米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

【1972年沖縄復帰当時】

1972年の沖縄復帰当時、米軍は沖縄からの海兵隊の撤退を検討していた(注1)。

琉球新報<社説>モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ 2014年9月15日
 普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした。
 1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。
 日本復帰前後の歴史を振り返ると、この構図が繰り返されていることが分かる。
 沖縄返還協定締結直前の71年5月21日、佐藤栄作首相は、屋良朝苗主席から在沖米軍の整理縮小について要請を受けている。佐藤首相は「本土の(基地)負担を沖縄におわす様な事はしない」(「屋良朝苗日記」)と約束した。愛知揆一外相も在沖米軍基地の整理縮小に取り組むと明言した。
 しかし屋良・佐藤会談直前の5月13日、米空軍F4ファントムが東京の横田基地から嘉手納基地に移駐した。後に「関東計画」と呼ばれる在日米軍の整理縮小によって、首都圏から米軍は退く。その結果、日本の負担は沖縄にしわ寄せされ、佐藤首相の約束は果たされなかった。
 愛知外相が回答した整理縮小についてはどうか。沖縄返還交渉の米側実務担当者モートン・ハルペリン氏は、在沖米軍基地縮小は沖縄返還後に「議論が行われていくだろうと思っていた」と本紙に証言している。証言通り、復帰後の72年から73年にかけて米政府内で縮小論議があった。
 オーストラリア政府の公文書によると、米国防総省は在沖米海兵隊基地を本国に統合する案を検討(72年10月)し、国務省も「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示した(73年1月)。しかし、日本政府が引き留めたことで、普天間を含む在沖米海兵隊基地返還の機会を逸した。
 そして95年、痛ましい事件が起きた時の米軍撤退議論も、米軍駐留に固執する日本側の意向で実現しなかった。
 沖縄にとって米軍の存在は「相当な歴史的恨みがある」(モンデール氏)ことを米側は知っている。普天間飛行場の移設を名目にした新基地建設など不要だ。今こそ43年前、佐藤首相が屋良主席と交わした約束を果たしてもらう時だ。

ご存知の通り「沖縄の祖国復帰」運動は、同時に基地反対運動としての側面をもち、「核抜き、本土並み」を主張していた。
米軍は、この沖縄県民の反基地感情に押されて、またベトナム戦争での戦費負担拡大による財政的理由などもあり、在沖米軍の縮小を検討してきた。
しかし、それを引き止めたのは日本側だった。むしろ、復帰後、沖縄の米軍基地は増えていった。

米軍基地面積の割合
・画像は琉球朝日放送シリーズ5・15 基地負担軽減の実態より
 沖縄の米軍基地比率は1950年代半ばから増え、復帰の年1972年前後も増え続け、(年の目盛りはないが)現在の74%で固定化されるのは1970年代後半以降。

【1995年少女暴行事件】

1995年9月に米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。米軍による事件・事故は後を絶たなかったので、県民の怒りが爆発し、沖縄県議会、沖縄市議会、宜野湾市議会などで抗議決議が採択され、10月には85,000人を集めた集会が開かれた。これらの動きは、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や、日米地位協定の見直しを求める訴えが高まるきっかけとなり、沖縄県知事も政府に対して強くその実行を迫った。
これに対し日米政府は、11月「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会(SACO)」第1回会合を開催。96年12月に最終報告を出し、普天間基地などの返還を決めた。
この時にも、米軍は撤退や大幅削減を検討していた(注2)。
“(米兵による少女暴行事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した”

琉球新報 米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言 2014年9月14日
 1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件の発生を挟んで93~96年に駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が、米国務省系の研究機関、外交研究・研修協会による外交史記録を目的とした退任後のインタビューで、事件に対する県民の大きな反発を受けて、当時米政府が在沖米軍の撤退や大幅な縮小を懸念していたと証言していたことが分かった。
 一方、日本政府の対応に関しては「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と振り返り、在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたと明かしている。
 インタビューは2004年4月27日付で行われ、モンデール氏は事件について「県民の怒りは当然のもので、私もその怒りを共有していた」と語った。その上で「(事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した」と述べ、沖縄側の要求に対して米側が大幅に譲歩せざるを得ないと認識していたと紹介した。
 一方で当時の「日本側の指導者たちとの非公式な会話」に言及し、「彼らはこの問題が挫折を招くことや、われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と説明。日本側が沖縄への米軍駐留継続を求めていたと述懐している。
 事件から7カ月後の96年4月、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意したが、県内での代替基地建設が条件とされた。

 この記事の出た翌日の琉球新報の社説「モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ」(上掲 “1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。”)は、この記事を受けてのものと思われる。

【2006年日米合意】

2006年5月の在日米軍再編を巡る日米合意で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市移設を条件に、14年までに沖縄に駐留する海兵隊員のうち8千人とその家族9千人のグアム移転が盛り込まれた。
2012年には、この移転は、辺野古問題と切り離され、新基地が完成しなくても移転を先行させる事となった(注3)。

沖縄の海兵隊をめぐる米国の政治過程 沖縄県
2005 年に登場した沖縄県内における普天間飛行場代替施設(Futenma Replacement Facility: FRF)の建設と海兵隊グアム移転のパッケージ案は、普天間 飛行場の移設手続きを加速させ、こうした政策課題の解決に寄与するものとみられ た。しかし、この計画は実現をみないまま、2012 年に再び 2 つの案は切り離され、 グアム移転が部分的に先行実施されることとなった。

沖縄海兵隊のグアム先行移転がもたらす3つの問題 日経ビジネス
 米Bloomberg Businesswek誌が2月3日、米国防総省の決定を報じた――沖縄に駐留する海兵隊を、普天間基地の移転を待つことなく、グアムへ先行移設する。「在沖海兵隊のうち4500人をグアムに移転する。4000人をオーストラリア、フィリピン、ハワイへとローテートする」。
 米国防総省も、この報道の内容を大筋で認めた。

この件は防衛省の公式サイトにも掲載されている。
在沖米海兵隊のグアム移転の経緯・概要

在沖米海兵隊は「幽霊師団」との指摘もある(注4)。
大幅削減される「幽霊師団」のために「新基地」は本当に必要なのか。
むしろ、辺野古でない方がよいという意見すらある(注5)。

【朝日新聞】 辺野古移設「長期的解決策にならない」 米国防省元幹部ナイ氏との主なやりとり 「日米同盟、変革が必要」
 日米両政府が進める米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、対日政策に詳しいジョセフ・ナイ元米国防次官補(現米ハーバード大教授)が「長期的には解決策にならない」と述べた。中国の弾道ミサイルの射程内にある沖縄に米軍基地が集中する現状を変えるべきだ、とも指摘した。
 「中国の弾道ミサイル能力向上に伴い、固定化された基地の脆弱(ぜいじゃく)性を考える必要が出てきた。卵を一つのかごに入れておけば(すべて割れる)リスクが増す」と指摘。
 「沖縄の人々が辺野古への移設を支持するなら私も支持するが、支持しないなら我々は再考しなければならない」とも述べ、辺野古移設に慎重な理由として、沖縄県民の反対が多いことも挙げた。

沖縄でなくてもよいと、中谷防衛大臣も認めている(注6)。
米軍は、経済的理由や冷戦構造の崩壊などにより、全世界的に部隊の撤退や基地の閉鎖を進めている。
なぜ、日本でだけ基地機能を強化しようとしているのか(注7)。
大半が国外へ移転する部隊のための基地、ジョセフ・ナイ氏も中谷防衛大臣も「沖縄でなくてもよい」と認めている基地をなぜ辺野古に押し付けるのか。
もちろん、米軍側は「新基地はいらない」と言っているわけではない(注8)。
しかし、米軍側の意向を忖度(そんたく)して、事を強引に押し進めているのは、日本側の、安保村の政治家、官僚だ。
まさしく、鳩山元首相に嘘までついて「辺野古案」を押し付けた防衛・外務官僚の姿勢そのものだ。
その背景にあるのは、アメリカへの「自発的隷属」思想と、大成建設など大手ゼネコンの利権がらみだ。

冒頭にも書いた通り、5野党は、沖縄基地問題を含めて政策でも協議をする。
ぜひとも、安倍政権に対して明快な対決軸を打ち出して欲しい。

こちらも。[関連記事]
【普天間、辺野古問題】「辺野古移設が普天間の危険性除去の唯一の解決策」か。在沖米海兵隊削減は、日米両政府で合意済み。削減される部隊のための新基地も旧基地もいらない。


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・注1
他にも次のような報道がある。

琉球新報 米政府、72年に在沖海兵隊撤退を検討 日本が慰留 2013年11月
 本土復帰後の1972年10月、米国防総省が沖縄の米海兵隊基地を米本国に統合する案を検討していたことが、オーストラリア外務省の公文書で9日までに明らかとなった。米国務省も73年1月に「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示している。
 一方で、直後の日米安全保障条約運用会議(73年7月)で防衛庁は海兵隊の維持を米側に要求。米側の海兵隊撤退の動きを日本政府が引き留めたことで、在沖海兵隊基地返還の機会を逸していた可能性が高まった。
 米国民間団体「国家安全保障文書館」が情報公開請求で得た73年1月のメモで米国務省は在沖海兵隊について「使用される航空機が人の多く住む地域を低く飛び、目立った騒動を引き起こす」として「普天間は明らかに政治的負債だ」と断じている。
 9日の沖縄法政学会で講演した野添氏は、復帰後の米側による海兵隊撤退論について、(1)沖縄での基地への不満(2)ベトナム戦争の財政負担拡大(3)東アジアの緊張緩和―が背景にあったことを説明。「緊張緩和が進展した時期でも、日本政府は米国に依存せざるを得ないという極めて硬直的な思考しかなかった。米国に頼る以外に安全保障上のオルタナティブ(代案)を模索する動きがなかったことが米軍基地が縮小がしなかった大きな原因だ」と指摘した。

琉球新報 米、在沖海兵隊撤退を検討 復帰直後 日本が残留望む 2015年11月6日
 米国家安全保障会議(NSC)が1973~76年に、72年の沖縄復帰を契機とした政治的圧力で在沖米海兵隊を撤退する事態を想定し、海兵遠征軍をテニアンに移転する案を検討していたことが、機密指定を解除された米公文書などで分かった。
 日米両政府が沖縄を海兵隊の駐留拠点にする理由として説明する「地理的優位性」の根拠が一層乏しくなった形だ。
 米軍統合参謀本部史によると、73年に在韓米陸軍と在沖米海兵隊を撤退させる案が米政府で検討され、国務省が支持していた。同文書もテニアンの基地建設に言及しているが、計画は74年に大幅縮小された。理由の一つに「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」と記し、日本側が海兵隊を引き留めたこともあらためて明らかになった。

・注2
他にも次のような報道がある。

琉球新報 <社説>モンデール氏証言 米は辺野古見直し唱えよ 2015年11月11日
 米海兵隊の撤退や大幅削減の芽を、日本政府が摘んできたことがあらためて浮かび上がった。
 1993~96年に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が本紙インタビューに応じた。96年4月に橋本龍太郎首相との共同記者会見で普天間飛行場の返還合意を表明した人物だが、インタビューで移設先の選定を振り返り「われわれは沖縄だとは言っていない」と語った。
 同氏は「沖縄も候補の一つ」と述べた上で「基地をどこに配置するかを決めるのは日本政府でなければならない」と付け加えた。
 返還合意の際に付した県内移設の条件は日本側の要望に沿ったものであることを示唆した証言だ。同氏が2004年に米国務省外郭団体のインタビューで語った内容と照合すると、さらにはっきりする。

・注3
視点・論点 「シリーズ・いま沖縄を考える 米軍基地集中の理由」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/221394.html
日米両政府は2005、06年に合意した米軍再編で、沖縄の海兵隊を半減させ、グアムへ移すことを決めました。2012年に米軍再編が見直され、移転する部隊の中に地上戦闘部隊、第4海兵連隊が含まれることになりました。これは沖縄海兵隊の主力部隊です。

アメリカ海兵隊の行方――普天間は固定化されるのか 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700011.html
日米両政府は2月8日、米海兵隊普天間飛行場の移設と在沖海兵隊のグアム移転を切り離し、海兵隊のグアム移転を先行させることで合意した。

在日米軍再編見直しは日米の窮余の一策 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700013.html
2006年に日米合意した約8000人の海兵隊員とその家族約9000人のグアム移転をめぐる再検討だ。日米両政府は同8日、これまでリンクさせてきたグアムへの海兵隊移転と普天間移設とを切り離すと正式に発表。その際、出された基本計画によると、海兵隊員の一部移転や米軍嘉手納基地以南の米軍5施設の返還を先行させて進め、今年6月にも予定されていた普天間飛行場の県内移設にからむ埋め立て申請を先送りすることも決まった。

2014年には移転のための予算も認められた。
沖縄の海兵隊グアム移転、予算執行へ 米議会が合意
米上院、在沖縄海兵隊のグアム移転容認 法案可決 2014年12月
http://www.asahi.com/articles/ASGD3265CGD3UHBI006.html?iref=reca
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H16_T11C14A2NNE000/
http://www.sankei.com/world/news/141205/wor1412050049-n1.html
沖縄県に駐留する米海兵隊の一部をグアムに移転させる計画について、米議会は予算関連法案に盛り込んでいた予算執行の凍結を解除すると決めた。
日米両政府は、グアム移転計画の費用を86億ドル(約1兆200億円)と見積もり、うち28億ドル(約3300億円)を日本政府が負担することで合意している。
在沖縄海兵隊のグアム移転費の執行凍結を解除し、移転作業を容認する内容。
日米両政府は、在沖縄海兵隊約1万9千人のうち4千人をグアムに移転すると計画。

米国のオバマ大統領は、米政府が沖縄から海兵隊基地を撤去する用意のある事を確認した。2015年4月
http://jp.sputniknews.com/politics/20150429/262946.html
オバマ大統領は又「会談で合意された日米防衛協力の新しい指針は、地元住民の負担軽減のため、沖縄も含めた地域の米軍基地の移転に関する努力をさらに強めるものだ」と指摘し、さらに「私は、海兵隊員を沖縄からグァムに移転させる問題を前進させるという我々の義務をあらためて確認した」と述べた。

・注4
沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”
http://dot.asahi.com/aera/2015051100058.html?page=1
ただし、この記事中、3ページ目に「民主党の鳩山政権下で浮上した鹿児島県の徳之島などは、地元の反対で実現しなかった。」という記述があるが、実現しなかった要因はもちろん地元の反対もあるが、前回記事で書いた通り、ねつ造を含む官僚の抵抗に遭った事も大きい。

・注5
辺野古移設「長期的解決策にならない」 米国防省元幹部
http://www.asahi.com/articles/ASGD42CTZGD4UHBI00B.html
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=28393

普天間移設「在沖海兵隊は豪に」 元米国防次官補、ナイ氏が論文
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-184377.html

ジョセフ・ナイ元国防次官補 沖縄海兵隊 「豪移転も選択肢」 「豪は沖縄と比べ訓練場が広い」 
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_1160.html

・注6
この動画の18分40秒以降のところで、中谷大臣は基地の分担は可能。しかし反対の声ゆえに沖縄にあると発言している。

・注7
その理由のひとつは間違いなく「思いやり予算」だ。
新基地建設費用も移転費用も、運営費用もアメリカ側持ちとなっても新基地建設をアメリカは強行するだろうか。

・注8
核持ち込み可能な辺野古弾薬庫や北部訓練場との一体運用、滑走路と揚陸艦接岸可能な港湾施設との一体運用という辺野古の海兵隊基地の原型は、およそ半世紀前にさかのぼる。

【1966年】
報道STATION -特集-『辺野古移設 隠された真実 40年前の米軍機密計画』
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/sp_2006/special/060412.html

米海兵隊が34年前、キャンプ・シュワブ周辺に飛行場建設を計画
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-112444.html

1966年からの米軍計画
http://blogs.yahoo.co.jp/okinawa_maxi/307768.html

【米海軍1968年再編案】 沖縄撤退を検討 辺野古移駐も想定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150927-00000009-okinawat-oki
「西太平洋・インド洋基地研究最終報告書」は68年6月、海軍省戦略計画局がまとめ、作戦副本部長から海軍長官へ提出。同12月、国防総省は在沖海兵隊撤退を検討、しかし海軍と空軍の反対で頓挫したことが分かっている。
報告書は70年からの10年で日本やフィリピン、沖縄が基地を拒否した場合、補給支援代替、新基地建設の費用などから移転先を分析。拒否が日本、フィリピンなど単独の場合、複数が同時に拒否した場合など6案を検討。
日本が拒否した場合は沖縄、フィリピン、グアム、テニアンに基地を集約。3海兵航空団の配置先は普天間飛行場に本部、久志湾(辺野古)に2航空団、グアムに1航空団を移駐。久志湾に飛行場建設が必要とした。
また、日本と沖縄が同時に拒否した場合、フィリピン、グアムとテニアンへ移駐を計画。
(注)沖縄は本土復帰しておらず米軍統治下にあったので、日本と沖縄は別々の地域として検討されている。

辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー ポリタス 2015年7月3日
アメリカのゼネコンまで入れて西表島から北部の方まで全部調査したんです。その結果、辺野古のある大浦湾が一番いいという結論になった。なぜかというと、水深の浅い那覇軍港は水深が浅くて航空母艦を入れられないんです。ところが辺野古のある大浦湾は水深が30メートルあるので航空母艦を横付けできる。そこで滑走路だけではなく、海軍の巨大な桟橋をつくって航空母艦や強襲揚陸艦を入れ、さらに反対側には核兵器を収容できる陸軍の弾薬庫をつくる計画を立てたわけです。
2009年、民主党に政権交代が起きたことを機に沖縄返還交渉時に交わされた密約が明らかになりました。沖縄が日本に復帰して憲法を適用されても、アメリカの基地の自由使用は認め、いつでも核兵器を持ち込めると約束されて安心していたのです。しかし、密約が交わされた当時、アメリカはベトナム戦争で軍事費を使ってしまって金がなく、建設費も移設費用もすべて米軍の自己負担だったため、この計画は放置されたのです。そしていまになって――実に半世紀ぶりにこの計画が息を吹き返しているわけです。現在は移設費から建設費、維持費、思いやり予算まで、みんな日本の税金で賄っています。米軍としては、こんなにありがたい話はない。半世紀前に計画した基地が、全部日本の税金でできるようになったわけですから。米軍が辺野古を推すのにはそういう背景もあるんです。

・[ 追記 ] 県と国の和解をめぐって琉球新報社説

琉球新報 <社説>代執行訴訟和解 新基地 根本から問え 「辺野古が唯一」は本当か 2016年3月5日
 一見、国が柔軟な姿勢に転じたかに見える。だがそれは見せ掛けにすぎない。真実は、敗訴間近に追い詰められた国が、やむなく代執行訴訟から退却したのである。
 県と国の対立は仕切り直しとなった。だが新基地建設という国の頑迷な姿勢はいささかも揺らいでいない。沖縄の民意を踏みにじり、あくまで新基地を押し付ける姿勢が民主主義、自治の観点から正しいのか。「辺野古唯一」は本当か。根本から問い直すべきだ。
 福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長がこの和解案を示した時点で、結論は必然だったとも言える。国と県の対立に決着を図る上で最も強権的な手法が代執行だ。他の手段を経ず、いきなり最終手段たる代執行を求めた国に対し、裁判長は代執行以外の手段を勧めたわけである。「このまま行けば国敗訴だ」と警告したのに近い。
 安倍首相は早速、「辺野古移設が唯一の選択肢という考え方に変わりはない」と述べた。この頑迷ぶりが今日の混迷を招いたという自覚はうかがえない。ましてや民主主義や地方自治の無視を恥じる姿勢は見当たらなかった。
 首相の姿勢が正当化されるなら、どんな危険を強制されても、環境を破壊されても、選挙でどんな意思表示をしても、国がひとたび決めてしまえば地方は奴隷のごとく従うしかないことになる。これで民主国家だと言えるのか。それこそが本質的な問題なのだ。
 仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である。
 真の意味での仕切り直しの好機である。海兵隊は、普天間代替基地は必要か。百歩譲って必要としても、「辺野古が唯一」とする軍事的理由はない。「沖縄の海兵隊」という思考停止の見直しが必要だ。そこからしか真の解決は見つかるまい。


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辺野古新基地、国と県が和解。しかし国は「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩さず。- 米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側。” への1件のフィードバック

  1. 外務、防衛官僚が普天間移設問題で鳩山元首相に嘘の説明は、本土大手マスコミで朝日新聞だけが報じています。他は、なぜ報道しないのでしょう。ネット上では、知られた話ですが、特にNHKは試聴料を取っている以上、伝える義務があると思います

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