カテゴリー: 官僚支配

フクイチ廃炉は絶望的。にもかかわらず「原発」にしがみ付く日本政府。背後にあるのはアメリカの圧力 !?

フクイチ

 2011年3月11日、あれから間もなく6年を迎える。

フクイチ毎時650シーベルト、自走式ロボットもアウト

 つい先日、 炉心溶融事故を起こした東京電力福島第一原発2号機は、原子炉圧力容器の外側でも毎時530シーベルトという高い放射線量だったと報道されたばかりだが、9日のニュースでは「格納容器内の放射線量を新たに推定したところ、毎時650シーベルトに達する」と報道された。

 東京電力は9日、メルトダウン(炉心溶融)した福島第一原発2号機の原子炉格納容器内の放射線量を新たに推定したところ、毎時650シーベルトに達すると発表した。調査ロボット「サソリ」の投入に向けて進路を掃除するロボットを入れ、そのカメラ映像の乱れから推定した。この場所は1月末の調査で毎時530シーベルトの線量があると推定された場所と近く、溶けた核燃料などが広範囲に飛び散っていることが裏付けられた。廃炉の困難さがあらためて浮き彫りになった。
福島2号機、格納容器内は650シーベルト 新たに推定

 東京電力は9日、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査に向け、自走式の「掃除ロボット」による堆積(たいせき)物の除去作業を再開した。搭載したカメラ画像を分析した結果、格納容器内の空間線量は毎時650シーベルト(推定)だったと発表した。先月に観測した毎時530シーベルト(同)を上回り、過去最高を更新した。
 作業開始から約2時間後、カメラ映像が暗くなったため作業を中断した。カメラは積算1000シーベルトまで放射線に耐えられる設計で、強い放射線が影響したとみられる。東電は月内にも「サソリ型ロボット」を投入する計画だったが、堆積物が走行の支障になる恐れがあり、東電は投入計画実施の可否も含め判断する。【柳楽未来】
福島2号機 650シーベルト観測 除去作業を中断

 東京電力によりますと、9日に2号機の原子炉の中心部にロボットを投入して搭載されたカメラの映像を分析したところ、推定される空間線量は、1時間あたり最大で650シーベルトに上るということです。2日に2号機のほぼ同じ位置の映像から推定された530シーベルトを超えて、過去最高の線量です。カメラは累積で1000シーベルトまで耐えられる設計ですが、線量が高すぎて2時間で使用不能になりました。東電は今後、さらに高性能なカメラを搭載したロボットを投入して詳しい調査をする予定でしたが、計画の見直しを迫られる可能性もあります。
福島第一原発2号機の内部から過去最高の放射線量(2017/02/10 08:02)

調査計画見直しへ 廃炉作業にも影響(毎日新聞)

 そして、昨日2月16日には「自走式のサソリ型ロボットが目標まで到達できず」「今後の調査は具体的には決まっておらず手詰まり」と報道された。

原子炉直下、到達せず…ロボ調査断念(毎日新聞)

福島2号機 想定以上の破損(毎日新聞)

調査計画見直しへ 廃炉作業にも影響(毎日新聞)

福島第一2号機内、「サソリ」ロボ立ち往生 手詰まりに(朝日新聞デジタル 2/16(木) 17:04配信)

広い範囲に高い線量、なぜ? 福島第一2号機の格納容器(朝日新聞デジタル 2/19)

 650シーベルト。これは人間が被ばくすれば数十秒で死に至る線量である。

 これは、とてつもない数値だ。ICRP(国際放射線防護委員会)の指標では、宇宙線や大地からの「自然放射能」に加えた「追加被曝線量」の公衆限度は年間1ミリシーベルトとされている。毎時換算でおよそ0.11マイクロシーベルトだ。福島原発事故後に日本政府が避難指示を解除する目安の除染目標にしたのは、年間20ミリシーベルト。長期にわたって居住が制限される「帰還困難区域」の線引きは、年間積算線量が50ミリシーベルトとされた。
1000ミリシーベルトが1シーベルトなのである。今回、計測された530シーベルトという高線量は、想像を絶する世界だ。「マイクロ」も「ミリ」もつかず、しかも「毎時」。1999年に茨城県東海村の核燃料加工会社で起きた臨界事故で死亡した作業員の被曝量は、最大で20シーベルトと推定されている。放射線医学総合研究所によれば、毎時6~7シーベルトが100%致死量だという。
即死の燃料デブリ残骸でわかった廃炉のデタラメ皮算用

 廃炉に至る道筋は全く見えてこない。途方もない年月と費用が必要だ。

 「政府の工程表は夢物語でしかなく、見直す時期に来ていると思います。福島原発の場合、燃料をすべて取り出して更地にするという意味での廃炉は、数十年単位では無理でしょう。問題なく運転終了した原発でも、廃炉まで数十年かかるのです。米国のスリーマイル島事故では、核燃料がまだ格納容器内にとどまっていたから、なんとかなった。世界的に見ても、過酷事故で燃料デブリになったものを取り出した例はありません。福島では、形状をとどめていないデブリがどこにあるかも分からないし、メルトダウンした原発が3基もある。チェルノブイリのように石棺化しても、100年は持たないでしょうし、本当に廃炉に至るまでには、途方もない年月と金額が必要になる。廃炉費用がいくらかかるか、誰にも分かりません。ところが、政府は最終的な費用の計算に先行して、国民に負担させるスキームの議論を始めた。ホント、ふざけています。40年という廃炉工程表を取り下げないのは、着実に廃炉に向かっているというパフォーマンスでしかない。東電を存続させ、原発再稼働を進めるためです」(環境経済学者で立命館大教授の大島堅一氏)
即死の燃料デブリ残骸でわかった廃炉のデタラメ皮算用

 廃炉どころではない。メルトダウンした核燃料でブリが地下水脈に到達しているという分析もある。そうなれば地球規模で危機的状況に陥る(フクイチで新たな恐怖!核燃デブリ「地底臨界」危機進行中!東日本どころか地球規模の超巨大原子力災害に)。今、次の地震が起これば大惨事が起きると言う指摘もある。燃料デブリを回収するノウハウは、人類が未経験であるが故、どこにも存在しない。

 これを「アンダーコントロールと言った愚かな人物がいたが「アンコントロール」の間違いか、それとも大騒ぎにならないようマスメディアは自分のコントロール下にあると言う意味か。

再稼働や帰還など狂気の沙汰。誰が責任を取るのか。

 安倍内閣は2017年3月までに避難指示を解除しようとしている。復興が進んでいるというアリバイを作るために。自主避難者への住宅提供も打ち切る方向だ。入居者の半数が継続を希望しているというにもかかわらず(原発避難者向け公務員宿舎 「入居継続」半数が希望)。廃炉のめども立たず、現在も環境を汚染し続け、さらに再び地震が起これば大惨事になる可能性が高いのに、避難解除など狂気の沙汰というしかない。人の命をなんだと思っているのか。

 普通、一民間企業の工場で爆発とか倉庫で火災とかが起き近隣住民に被害が及べば当然責任者は罰せられる。ところが今回は、東電初め誰も逮捕されず責任も追及されない。なんという無責任体質か。それどころか、その責任は国民に押し付けられようとしている。2006年に国会で福島原発事故と同じ事態が起きる可能性を指摘されながら、対策を拒否していた第一次安倍内閣の責任は忘れ去られようとしている。

廃炉費用、除染費用、損害賠償費用など損害額はすでに13.2兆円。その費用のほとんどが国民に転嫁される

東電HDに338億円を追加交付 原賠機構  (総額7兆407億円)

社説 廃炉費用 いつの間にか高くつく

<いま原発へもの申す> 過去分の国民負担は政府の不当請求

 こうなると、気になるのは昨年11月に国が公表した福島第一原発の事故処理費用だ。経産省は廃炉費用が2兆円から8.2兆円に膨らむなどの理由で、当初11兆円だった総費用を22・6兆円へと上方修正した。
 しかし、今となってはこの倍増予算でも足りそうにない。今回の調査で、2号機の廃炉には想像以上の時間と費用がかかることが判明した。例えば、1m大の穴は東電が5年かけて開発した「サソリ型調査ロボット」の走行ルート上にあり、これが使えなくなる。つまり、調査からやり直しなのだ。本来なら、今回の調査結果を受け、国は原発の事故処理費用の算定を一からやり直すべきである。
フクイチ2号機は最悪の「メルトスルー」状態? 経産省は巨額の事故処理費用から国民の目をそらしている!

 国民に負担を押し付け、避難している人たちを帰還させる前にやる事があるはずだ。安倍首相はもちろん、「原発は安全、エコでクリーンなエネルギー」と主張・宣伝して来た原発村の関連企業・政治家・閣僚・学者がまず何らかの責任を取るべきではないのか。

「クリーンでエコな発電」は大ウソ。放射性廃棄、電力会社が300~400年間管理、国の管理10万年。

 2016年8月、原子力規制委員会が驚きの発表をした。「約8千トンにものぼる原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1)を、地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する」というのだ。高レベル放射性廃棄物についても地下300メートルより深くに10万年保管すると言う。(制御棒処分、70m以深 国の管理10万年 規制委方針)

 この人たちの頭の中はどうなっている ? マジでこんな事考えているのか ? 「地震や火山の影響を受けにくい場所」など日本にあるのか。そして何より驚きなのは、10万年て(驚)。

 400年前というと、1616年。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだのが1615年。1616年に徳川家康没。ガリレオの宗教裁判も、シェイクスピアが亡くなったのも1616年。400年てそれくらいの時間。400年後も、今の電力会社が存在するのか。いや、日本政府も存在するのか。

 10万年に至っては言葉もない。ネアンデルタール人の出現が約23万年前、北京原人が50万年前。ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現が20万年前。ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界各地に拡がったのが10万年前。8万1000年前 – 地球温暖化に伴う海面の急速な上昇が起こっていた。約1万3000年前 – 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形を整えたと考えられている。

 10万年後は、日本政府どころか、日本列島も今の形で存在しているかどうか。「地震や火山」どころの話ではない。地殻変動によって日本列島がなくなっているかもしれない。およそ、気の遠くなる時間。まったく無意味な計画。しかもこれ、事故が無いとしてもの話だ。

 NHKクローズアップ現代が、「10万年の安全は守れるか ~行き場なき高レベル放射性廃棄物~」と題して、日本学術会議が「高レベル放射性廃棄物の地層処分の方針を白紙に戻すべきだ」とした提言について特集を組んだ。

 人類は(少なくとも現時点では)核と共存できない。「原発はトイレのないマンション」と言われるゆえんだ。原発は、何世代にもわたって次の世代に「負の遺産」を押し付ける現代人のエゴ、今さえ良ければあとは野となれ山となれという悪魔の哲学に貫かれている。

 「原発はクリーンでエコな発電」という宣伝も、もうとっくにウソだとわかってしまった。「クリーンで環境に優しい」は、火力発電と違って、単に発電時に二酸化炭素を排出しないというだけの事。実は原発は発電時に大量の電気を必要とする(^_^;)。 しかし、まあ、それはどうでも良い。事故なく無事廃炉できたとしても、10万年にもわたって環境に影響を与え続ける。ひとたび事故を起こせば地球規模で汚染が広がる可能性すらある。クリーンなわけない。「エコで低コスト」も大ウソ。これも単に「発電時だけを計算した」話。10万年間もの保管費用や万が一事故が起きた場合の事故処理費を計算に入れれば、まさに天文学的数字、桁違いの最もハイコストな発電方法だろう。

日本はアメリカの植民地 ? 原発政策でもアメリカ言いなり

 そのような原発をなぜ止められないのか。脱原発を果たした(あるいは目指している)国は多いのに、過酷な事故を経験した当事者である日本で次々原発が再稼働している。なぜ日本は「脱原発」できないのか。様々な理由が考えられる。そのうちの一つは、間違いなく「アメリカの圧力」であろう。

日本の原発史① アメリカの圧力により、親米派の人達が原発の推進を決める

日本が脱原発できない本当の理由

米国の圧力と戦後日本史9-アメリカが決して表に出てこない原発推進の構造-

日米原子力協定の真相とは?「日本はなんとしても自力で核兵器をつくる力を身につけておきたいと思ったわけです」~第31回小出裕章ジャーナル-

矢部宏治氏は『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』の中で次のように書いている。

 「(日米原子力協定は)アメリカの了解がないと、日本の意向だけでは絶対に止められない」ような取り決めになっているのです。(中略)それら重要な取り決めのほぼすべてが、協定の終了後も「引き続き効力を有する」事になっている。こんな国家間の協定が、地球上で他に存在するでしょうか。もちろんこうした正規の条文以外にも、日米地位協定についての長年の研究でわかっているような密約も数多く結ばれているはずです。問題は、こうした協定上の力関係を日本側からひっくり返す武器が何もないという事なのです。
 (中略)
 いくら日本の国民や国民の選んだ首相が「原発を止める」という決断をしても、外務省とアメリカ政府高官が話をして、「無理です」という結論が出れば撤回せざるを得ない。(中略)日米原子力協定という「日本国憲法の上位法にもとづき、日本政府の行動を許可する権限を持っているのは、アメリカ政府と外務省だからです。

 このブログでも、以前「安保村の官僚は時の総理(鳩山元首相)すら騙して、基地を押し付ける」という記事を書いた。「普天間移設問題」で、防衛省と外務省の「安保村」の官僚が、時の総理すら騙してアメリカの利益を優先したという内容の記事だ。

 原発問題でも同じように「原発村」の官僚が、時の政府の決定よりもアメリカの意向を優先する。福島原発事故直後、民主党政権が「原発ゼロ」を目指したとき、アメリカの圧力によって閣議決定が撤回された。

「原発ゼロ」つぶしのバックにアメリカ~「東京新聞」がスクープ

原発ゼロの閣議決定回避とアメリカの圧力

原発推進も米の圧力

 安保も原発も根は同じ。今や日本は完全にアメリカの植民地。対米隷属の姿勢を改める政府を作る、官僚をしっかりコントロールできる政府を作る事が必要だ。

・画像は毎日新聞のサイトより(自走式のサソリ型ロボット、到着できず)


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お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日

【日本人は全員観るべき】ドイツ公共放送の番組「フクシマの嘘」紹介

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辺野古新基地、国と県が和解。しかし国は「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩さず。- 米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

辺野古問題で国と県が和解、工事中止へ

今日3月4日、国と沖縄県双方が訴訟をすべて取り下げるという「和解案」を受け入れた。
これに伴って、辺野古での工事は一時中止となる。工事中止は暴力に屈せず闘ってきた成果と言えるだろう。
しかし一方で、最終決着はどうなるのか、なぜ国は和解を受け入れたのか、疑問に思う声も多い。
国側の受け入れ決定は、明らかに、時間稼ぎと県議選・参議院選にむけての選挙対策だ。
もうひとつポイントは、「最終的に再度訴訟になった場合には、その司法判断に双方が従う」という点だろう。
政府は、受け入れに際しても「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩しておらず、工事を断念する可能性は極めて低い。
再び裁判となった場合、今の司法の状況で、国側敗訴の可能性も極めて低い。
どちらが敗訴しても、双方それに従うという「時限爆弾」を国は合意の中に潜り込ませた。

琉球新報 <社説>代執行訴訟和解 新基地 根本から問え 「辺野古が唯一」は本当か ・[ 追記 ] 参照
 仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である。
 真の意味での仕切り直しの好機である。海兵隊は、普天間代替基地は必要か。百歩譲って必要としても、「辺野古が唯一」とする軍事的理由はない。「沖縄の海兵隊」という思考停止の見直しが必要だ。そこからしか真の解決は見つかるまい。

再び裁判となり、その裁判が結審するまでには1年以上かかると言われている。
それまでの間に安倍政権を取り替えるしかない。
国民の意志に反する政権を別の政権に取り替えるのは国民の権利だ。
安倍自民に代わってどのような政権が誕生するかにもよるが、沖縄県民の民意を尊重できる政府を。
その点でも参議院選と同時、ないしは直後に行われる衆議院選挙の意義は大きい。
やっと動き出した野党共闘は、衆議院選挙での共闘にも原則一致し、安保法制廃止に加え、(1)格差是正(2)消費税増税(3)原発再稼働(4)沖縄の米軍基地問題-などのテーマで共通点を探ることで大筋合意した。
この流れをぜひとも大きくしよう。

さて、ここまでは前置き。今回の主題は、、、、
前回記事では、普天間・辺野古問題で、日米安保村の官僚は時の総理・鳩山元首相すら騙すということについて書いたが、今回はその続きである。
日本の官僚は、米軍基地を沖縄に引き止めるためには、時の総理大臣すら公文書を偽造してまで騙す、という事について書いた。
安保村の官僚・政治家が、米軍基地を日本に、そして沖縄に引き止めたのは今回が初めてではない。

米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

【1972年沖縄復帰当時】

1972年の沖縄復帰当時、米軍は沖縄からの海兵隊の撤退を検討していた(注1)。

琉球新報<社説>モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ 2014年9月15日
 普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした。
 1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。
 日本復帰前後の歴史を振り返ると、この構図が繰り返されていることが分かる。
 沖縄返還協定締結直前の71年5月21日、佐藤栄作首相は、屋良朝苗主席から在沖米軍の整理縮小について要請を受けている。佐藤首相は「本土の(基地)負担を沖縄におわす様な事はしない」(「屋良朝苗日記」)と約束した。愛知揆一外相も在沖米軍基地の整理縮小に取り組むと明言した。
 しかし屋良・佐藤会談直前の5月13日、米空軍F4ファントムが東京の横田基地から嘉手納基地に移駐した。後に「関東計画」と呼ばれる在日米軍の整理縮小によって、首都圏から米軍は退く。その結果、日本の負担は沖縄にしわ寄せされ、佐藤首相の約束は果たされなかった。
 愛知外相が回答した整理縮小についてはどうか。沖縄返還交渉の米側実務担当者モートン・ハルペリン氏は、在沖米軍基地縮小は沖縄返還後に「議論が行われていくだろうと思っていた」と本紙に証言している。証言通り、復帰後の72年から73年にかけて米政府内で縮小論議があった。
 オーストラリア政府の公文書によると、米国防総省は在沖米海兵隊基地を本国に統合する案を検討(72年10月)し、国務省も「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示した(73年1月)。しかし、日本政府が引き留めたことで、普天間を含む在沖米海兵隊基地返還の機会を逸した。
 そして95年、痛ましい事件が起きた時の米軍撤退議論も、米軍駐留に固執する日本側の意向で実現しなかった。
 沖縄にとって米軍の存在は「相当な歴史的恨みがある」(モンデール氏)ことを米側は知っている。普天間飛行場の移設を名目にした新基地建設など不要だ。今こそ43年前、佐藤首相が屋良主席と交わした約束を果たしてもらう時だ。

ご存知の通り「沖縄の祖国復帰」運動は、同時に基地反対運動としての側面をもち、「核抜き、本土並み」を主張していた。
米軍は、この沖縄県民の反基地感情に押されて、またベトナム戦争での戦費負担拡大による財政的理由などもあり、在沖米軍の縮小を検討してきた。
しかし、それを引き止めたのは日本側だった。むしろ、復帰後、沖縄の米軍基地は増えていった。

米軍基地面積の割合
・画像は琉球朝日放送シリーズ5・15 基地負担軽減の実態より
 沖縄の米軍基地比率は1950年代半ばから増え、復帰の年1972年前後も増え続け、(年の目盛りはないが)現在の74%で固定化されるのは1970年代後半以降。

【1995年少女暴行事件】

1995年9月に米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。米軍による事件・事故は後を絶たなかったので、県民の怒りが爆発し、沖縄県議会、沖縄市議会、宜野湾市議会などで抗議決議が採択され、10月には85,000人を集めた集会が開かれた。これらの動きは、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や、日米地位協定の見直しを求める訴えが高まるきっかけとなり、沖縄県知事も政府に対して強くその実行を迫った。
これに対し日米政府は、11月「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会(SACO)」第1回会合を開催。96年12月に最終報告を出し、普天間基地などの返還を決めた。
この時にも、米軍は撤退や大幅削減を検討していた(注2)。
“(米兵による少女暴行事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した”

琉球新報 米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言 2014年9月14日
 1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件の発生を挟んで93~96年に駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が、米国務省系の研究機関、外交研究・研修協会による外交史記録を目的とした退任後のインタビューで、事件に対する県民の大きな反発を受けて、当時米政府が在沖米軍の撤退や大幅な縮小を懸念していたと証言していたことが分かった。
 一方、日本政府の対応に関しては「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と振り返り、在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたと明かしている。
 インタビューは2004年4月27日付で行われ、モンデール氏は事件について「県民の怒りは当然のもので、私もその怒りを共有していた」と語った。その上で「(事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した」と述べ、沖縄側の要求に対して米側が大幅に譲歩せざるを得ないと認識していたと紹介した。
 一方で当時の「日本側の指導者たちとの非公式な会話」に言及し、「彼らはこの問題が挫折を招くことや、われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と説明。日本側が沖縄への米軍駐留継続を求めていたと述懐している。
 事件から7カ月後の96年4月、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意したが、県内での代替基地建設が条件とされた。

 この記事の出た翌日の琉球新報の社説「モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ」(上掲 “1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。”)は、この記事を受けてのものと思われる。

【2006年日米合意】

2006年5月の在日米軍再編を巡る日米合意で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市移設を条件に、14年までに沖縄に駐留する海兵隊員のうち8千人とその家族9千人のグアム移転が盛り込まれた。
2012年には、この移転は、辺野古問題と切り離され、新基地が完成しなくても移転を先行させる事となった(注3)。

沖縄の海兵隊をめぐる米国の政治過程 沖縄県
2005 年に登場した沖縄県内における普天間飛行場代替施設(Futenma Replacement Facility: FRF)の建設と海兵隊グアム移転のパッケージ案は、普天間 飛行場の移設手続きを加速させ、こうした政策課題の解決に寄与するものとみられ た。しかし、この計画は実現をみないまま、2012 年に再び 2 つの案は切り離され、 グアム移転が部分的に先行実施されることとなった。

沖縄海兵隊のグアム先行移転がもたらす3つの問題 日経ビジネス
 米Bloomberg Businesswek誌が2月3日、米国防総省の決定を報じた――沖縄に駐留する海兵隊を、普天間基地の移転を待つことなく、グアムへ先行移設する。「在沖海兵隊のうち4500人をグアムに移転する。4000人をオーストラリア、フィリピン、ハワイへとローテートする」。
 米国防総省も、この報道の内容を大筋で認めた。

この件は防衛省の公式サイトにも掲載されている。
在沖米海兵隊のグアム移転の経緯・概要

在沖米海兵隊は「幽霊師団」との指摘もある(注4)。
大幅削減される「幽霊師団」のために「新基地」は本当に必要なのか。
むしろ、辺野古でない方がよいという意見すらある(注5)。

【朝日新聞】 辺野古移設「長期的解決策にならない」 米国防省元幹部ナイ氏との主なやりとり 「日米同盟、変革が必要」
 日米両政府が進める米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、対日政策に詳しいジョセフ・ナイ元米国防次官補(現米ハーバード大教授)が「長期的には解決策にならない」と述べた。中国の弾道ミサイルの射程内にある沖縄に米軍基地が集中する現状を変えるべきだ、とも指摘した。
 「中国の弾道ミサイル能力向上に伴い、固定化された基地の脆弱(ぜいじゃく)性を考える必要が出てきた。卵を一つのかごに入れておけば(すべて割れる)リスクが増す」と指摘。
 「沖縄の人々が辺野古への移設を支持するなら私も支持するが、支持しないなら我々は再考しなければならない」とも述べ、辺野古移設に慎重な理由として、沖縄県民の反対が多いことも挙げた。

沖縄でなくてもよいと、中谷防衛大臣も認めている(注6)。
米軍は、経済的理由や冷戦構造の崩壊などにより、全世界的に部隊の撤退や基地の閉鎖を進めている。
なぜ、日本でだけ基地機能を強化しようとしているのか(注7)。
大半が国外へ移転する部隊のための基地、ジョセフ・ナイ氏も中谷防衛大臣も「沖縄でなくてもよい」と認めている基地をなぜ辺野古に押し付けるのか。
もちろん、米軍側は「新基地はいらない」と言っているわけではない(注8)。
しかし、米軍側の意向を忖度(そんたく)して、事を強引に押し進めているのは、日本側の、安保村の政治家、官僚だ。
まさしく、鳩山元首相に嘘までついて「辺野古案」を押し付けた防衛・外務官僚の姿勢そのものだ。
その背景にあるのは、アメリカへの「自発的隷属」思想と、大成建設など大手ゼネコンの利権がらみだ。

冒頭にも書いた通り、5野党は、沖縄基地問題を含めて政策でも協議をする。
ぜひとも、安倍政権に対して明快な対決軸を打ち出して欲しい。


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・注1
他にも次のような報道がある。

琉球新報 米政府、72年に在沖海兵隊撤退を検討 日本が慰留 2013年11月
 本土復帰後の1972年10月、米国防総省が沖縄の米海兵隊基地を米本国に統合する案を検討していたことが、オーストラリア外務省の公文書で9日までに明らかとなった。米国務省も73年1月に「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示している。
 一方で、直後の日米安全保障条約運用会議(73年7月)で防衛庁は海兵隊の維持を米側に要求。米側の海兵隊撤退の動きを日本政府が引き留めたことで、在沖海兵隊基地返還の機会を逸していた可能性が高まった。
 米国民間団体「国家安全保障文書館」が情報公開請求で得た73年1月のメモで米国務省は在沖海兵隊について「使用される航空機が人の多く住む地域を低く飛び、目立った騒動を引き起こす」として「普天間は明らかに政治的負債だ」と断じている。
 9日の沖縄法政学会で講演した野添氏は、復帰後の米側による海兵隊撤退論について、(1)沖縄での基地への不満(2)ベトナム戦争の財政負担拡大(3)東アジアの緊張緩和―が背景にあったことを説明。「緊張緩和が進展した時期でも、日本政府は米国に依存せざるを得ないという極めて硬直的な思考しかなかった。米国に頼る以外に安全保障上のオルタナティブ(代案)を模索する動きがなかったことが米軍基地が縮小がしなかった大きな原因だ」と指摘した。

琉球新報 米、在沖海兵隊撤退を検討 復帰直後 日本が残留望む 2015年11月6日
 米国家安全保障会議(NSC)が1973~76年に、72年の沖縄復帰を契機とした政治的圧力で在沖米海兵隊を撤退する事態を想定し、海兵遠征軍をテニアンに移転する案を検討していたことが、機密指定を解除された米公文書などで分かった。
 日米両政府が沖縄を海兵隊の駐留拠点にする理由として説明する「地理的優位性」の根拠が一層乏しくなった形だ。
 米軍統合参謀本部史によると、73年に在韓米陸軍と在沖米海兵隊を撤退させる案が米政府で検討され、国務省が支持していた。同文書もテニアンの基地建設に言及しているが、計画は74年に大幅縮小された。理由の一つに「日本政府が沖縄の兵力を維持することを望んだ」と記し、日本側が海兵隊を引き留めたこともあらためて明らかになった。

・注2
他にも次のような報道がある。

琉球新報 <社説>モンデール氏証言 米は辺野古見直し唱えよ 2015年11月11日
 米海兵隊の撤退や大幅削減の芽を、日本政府が摘んできたことがあらためて浮かび上がった。
 1993~96年に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏が本紙インタビューに応じた。96年4月に橋本龍太郎首相との共同記者会見で普天間飛行場の返還合意を表明した人物だが、インタビューで移設先の選定を振り返り「われわれは沖縄だとは言っていない」と語った。
 同氏は「沖縄も候補の一つ」と述べた上で「基地をどこに配置するかを決めるのは日本政府でなければならない」と付け加えた。
 返還合意の際に付した県内移設の条件は日本側の要望に沿ったものであることを示唆した証言だ。同氏が2004年に米国務省外郭団体のインタビューで語った内容と照合すると、さらにはっきりする。

・注3
視点・論点 「シリーズ・いま沖縄を考える 米軍基地集中の理由」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/221394.html
日米両政府は2005、06年に合意した米軍再編で、沖縄の海兵隊を半減させ、グアムへ移すことを決めました。2012年に米軍再編が見直され、移転する部隊の中に地上戦闘部隊、第4海兵連隊が含まれることになりました。これは沖縄海兵隊の主力部隊です。

アメリカ海兵隊の行方――普天間は固定化されるのか 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700011.html
日米両政府は2月8日、米海兵隊普天間飛行場の移設と在沖海兵隊のグアム移転を切り離し、海兵隊のグアム移転を先行させることで合意した。

在日米軍再編見直しは日米の窮余の一策 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700013.html
2006年に日米合意した約8000人の海兵隊員とその家族約9000人のグアム移転をめぐる再検討だ。日米両政府は同8日、これまでリンクさせてきたグアムへの海兵隊移転と普天間移設とを切り離すと正式に発表。その際、出された基本計画によると、海兵隊員の一部移転や米軍嘉手納基地以南の米軍5施設の返還を先行させて進め、今年6月にも予定されていた普天間飛行場の県内移設にからむ埋め立て申請を先送りすることも決まった。

2014年には移転のための予算も認められた。
沖縄の海兵隊グアム移転、予算執行へ 米議会が合意
米上院、在沖縄海兵隊のグアム移転容認 法案可決 2014年12月
http://www.asahi.com/articles/ASGD3265CGD3UHBI006.html?iref=reca
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H16_T11C14A2NNE000/
http://www.sankei.com/world/news/141205/wor1412050049-n1.html
沖縄県に駐留する米海兵隊の一部をグアムに移転させる計画について、米議会は予算関連法案に盛り込んでいた予算執行の凍結を解除すると決めた。
日米両政府は、グアム移転計画の費用を86億ドル(約1兆200億円)と見積もり、うち28億ドル(約3300億円)を日本政府が負担することで合意している。
在沖縄海兵隊のグアム移転費の執行凍結を解除し、移転作業を容認する内容。
日米両政府は、在沖縄海兵隊約1万9千人のうち4千人をグアムに移転すると計画。

米国のオバマ大統領は、米政府が沖縄から海兵隊基地を撤去する用意のある事を確認した。2015年4月
http://jp.sputniknews.com/politics/20150429/262946.html
オバマ大統領は又「会談で合意された日米防衛協力の新しい指針は、地元住民の負担軽減のため、沖縄も含めた地域の米軍基地の移転に関する努力をさらに強めるものだ」と指摘し、さらに「私は、海兵隊員を沖縄からグァムに移転させる問題を前進させるという我々の義務をあらためて確認した」と述べた。

・注4
沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”
http://dot.asahi.com/aera/2015051100058.html?page=1
ただし、この記事中、3ページ目に「民主党の鳩山政権下で浮上した鹿児島県の徳之島などは、地元の反対で実現しなかった。」という記述があるが、実現しなかった要因はもちろん地元の反対もあるが、前回記事で書いた通り、ねつ造を含む官僚の抵抗に遭った事も大きい。

・注5
辺野古移設「長期的解決策にならない」 米国防省元幹部
http://www.asahi.com/articles/ASGD42CTZGD4UHBI00B.html
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=28393

普天間移設「在沖海兵隊は豪に」 元米国防次官補、ナイ氏が論文
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-184377.html

ジョセフ・ナイ元国防次官補 沖縄海兵隊 「豪移転も選択肢」 「豪は沖縄と比べ訓練場が広い」 
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_1160.html

・注6
この動画の18分40秒以降のところで、中谷大臣は基地の分担は可能。しかし反対の声ゆえに沖縄にあると発言している。

・注7
その理由のひとつは間違いなく「思いやり予算」だ。
新基地建設費用も移転費用も、運営費用もアメリカ側持ちとなっても新基地建設をアメリカは強行するだろうか。

・注8
核持ち込み可能な辺野古弾薬庫や北部訓練場との一体運用、滑走路と揚陸艦接岸可能な港湾施設との一体運用という辺野古の海兵隊基地の原型は、およそ半世紀前にさかのぼる。

【1966年】
報道STATION -特集-『辺野古移設 隠された真実 40年前の米軍機密計画』
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/sp_2006/special/060412.html

米海兵隊が34年前、キャンプ・シュワブ周辺に飛行場建設を計画
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-112444.html

1966年からの米軍計画
http://blogs.yahoo.co.jp/okinawa_maxi/307768.html

【米海軍1968年再編案】 沖縄撤退を検討 辺野古移駐も想定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150927-00000009-okinawat-oki
「西太平洋・インド洋基地研究最終報告書」は68年6月、海軍省戦略計画局がまとめ、作戦副本部長から海軍長官へ提出。同12月、国防総省は在沖海兵隊撤退を検討、しかし海軍と空軍の反対で頓挫したことが分かっている。
報告書は70年からの10年で日本やフィリピン、沖縄が基地を拒否した場合、補給支援代替、新基地建設の費用などから移転先を分析。拒否が日本、フィリピンなど単独の場合、複数が同時に拒否した場合など6案を検討。
日本が拒否した場合は沖縄、フィリピン、グアム、テニアンに基地を集約。3海兵航空団の配置先は普天間飛行場に本部、久志湾(辺野古)に2航空団、グアムに1航空団を移駐。久志湾に飛行場建設が必要とした。
また、日本と沖縄が同時に拒否した場合、フィリピン、グアムとテニアンへ移駐を計画。
(注)沖縄は本土復帰しておらず米軍統治下にあったので、日本と沖縄は別々の地域として検討されている。

辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー ポリタス 2015年7月3日
アメリカのゼネコンまで入れて西表島から北部の方まで全部調査したんです。その結果、辺野古のある大浦湾が一番いいという結論になった。なぜかというと、水深の浅い那覇軍港は水深が浅くて航空母艦を入れられないんです。ところが辺野古のある大浦湾は水深が30メートルあるので航空母艦を横付けできる。そこで滑走路だけではなく、海軍の巨大な桟橋をつくって航空母艦や強襲揚陸艦を入れ、さらに反対側には核兵器を収容できる陸軍の弾薬庫をつくる計画を立てたわけです。
2009年、民主党に政権交代が起きたことを機に沖縄返還交渉時に交わされた密約が明らかになりました。沖縄が日本に復帰して憲法を適用されても、アメリカの基地の自由使用は認め、いつでも核兵器を持ち込めると約束されて安心していたのです。しかし、密約が交わされた当時、アメリカはベトナム戦争で軍事費を使ってしまって金がなく、建設費も移設費用もすべて米軍の自己負担だったため、この計画は放置されたのです。そしていまになって――実に半世紀ぶりにこの計画が息を吹き返しているわけです。現在は移設費から建設費、維持費、思いやり予算まで、みんな日本の税金で賄っています。米軍としては、こんなにありがたい話はない。半世紀前に計画した基地が、全部日本の税金でできるようになったわけですから。米軍が辺野古を推すのにはそういう背景もあるんです。

・[ 追記 ] 県と国の和解をめぐって琉球新報社説

琉球新報 <社説>代執行訴訟和解 新基地 根本から問え 「辺野古が唯一」は本当か 2016年3月5日
 一見、国が柔軟な姿勢に転じたかに見える。だがそれは見せ掛けにすぎない。真実は、敗訴間近に追い詰められた国が、やむなく代執行訴訟から退却したのである。
 県と国の対立は仕切り直しとなった。だが新基地建設という国の頑迷な姿勢はいささかも揺らいでいない。沖縄の民意を踏みにじり、あくまで新基地を押し付ける姿勢が民主主義、自治の観点から正しいのか。「辺野古唯一」は本当か。根本から問い直すべきだ。
 福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長がこの和解案を示した時点で、結論は必然だったとも言える。国と県の対立に決着を図る上で最も強権的な手法が代執行だ。他の手段を経ず、いきなり最終手段たる代執行を求めた国に対し、裁判長は代執行以外の手段を勧めたわけである。「このまま行けば国敗訴だ」と警告したのに近い。
 安倍首相は早速、「辺野古移設が唯一の選択肢という考え方に変わりはない」と述べた。この頑迷ぶりが今日の混迷を招いたという自覚はうかがえない。ましてや民主主義や地方自治の無視を恥じる姿勢は見当たらなかった。
 首相の姿勢が正当化されるなら、どんな危険を強制されても、環境を破壊されても、選挙でどんな意思表示をしても、国がひとたび決めてしまえば地方は奴隷のごとく従うしかないことになる。これで民主国家だと言えるのか。それこそが本質的な問題なのだ。
 仮に敗訴しても、次は埋め立て承認の「撤回」をすればよい。設計変更は必ずあるからそのたびに知事が承認を下さなければ、工事はできない。いずれにせよ沖縄側が折れない限り、新基地完成は不可能である。
 真の意味での仕切り直しの好機である。海兵隊は、普天間代替基地は必要か。百歩譲って必要としても、「辺野古が唯一」とする軍事的理由はない。「沖縄の海兵隊」という思考停止の見直しが必要だ。そこからしか真の解決は見つかるまい。


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【普天間・辺野古問題】安保村の官僚は時の総理(鳩山元首相)すら騙して、基地を押し付ける。

外務・防衛官僚によって作られた「ニセ公文書」で、「辺野古移設」は決められた。「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先される。

鳩山氏を騙したニセ文書

鳩山元首相がニセ文書で防衛省と外務省に騙された、ということがネットで話題になっている。鳩山政権時に普天間県外移設を妨害したのは日本の防衛省と外務省。しかもニセ文書まで作成して、「辺野古への移設案」を鳩山氏にのませたという話だ。

日米安保村の官僚は、時の総理すら騙す

当初「最低でも県外」と主張していた鳩山氏は、その後断念。辞任後、県外移設を断念した理由について、防衛、外務官僚の妨害を、自身の力量不足とともに上げた(注1)。
県外移設のいくつかの案のうち、「鹿児島県徳之島などへの分散移転案」を不可能にしたのは米軍の「65カイリ以内」という規定だとされてきたが、実はその文書が「偽造」だった。

2013年11月のこの琉球新報の記事が、「65カイリ基準存在せず」と報じた初めてのマスメディアの記事ではないだろうか。

鳩山政権、県外断念の根拠 65カイリ基準存在せず 琉球新報 2013年11月27日
2010年に当時の鳩山政権が米軍普天間飛行場の鹿児島県・徳之島移設を検討した際、ヘリコプター部隊と演習場の距離を65カイリ(約120キロ)以内とする米軍の「基準」に基づき困難とされた件で、在沖米海兵隊が26日までに琉球新報の取材に答え「海兵隊の公式な基準、規則にはない」との見解を示した。

2014年12月の矢部宏治氏によるインタビューでは、文書の件については触れていないが、官僚の圧力についてより突っ込んだ話をしている。

鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』 2014年12月15日
本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。
お恥ずかしい話ですが、(「日米合同委員会」の存在は)わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。
私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。
それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。
自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

・リンク先のサイトは2015/03/14付けだが、オリジナルの記事・週プレNEWSは、2014年12月15日(月)配信。このインタビューは日本の官僚の支配構造の一端を知る上で重要と思います。全文をお読みになることをお勧めします。

2015年9月には、「防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だった」と述べている。

鳩山元首相「官僚が情報操作」 辺野古回帰でシンポ 琉球新報 2015年9月7日
鳩山氏は首相時代、防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だったことなどを挙げ「防衛、外務官僚は一度決めた辺野古移設を蒸し返されては困るから、米側の意向も忖度(そんたく)して辺野古しかないとリードした」と述べた。「大臣も役所に取り込まれ、大手メディアも既得権にどっぷり漬かり、壁を破れなかったのは私の力量不足だった」とした。

この問題を一気に広げたのは、2016年2月4日の「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」という講演会だろう。

検索いただければ、同様の動画サイトがいくつかある。

これを報じた田中龍作ジャーナル岩上安身 IWJ Independent Web Journalの記事を紹介させていただく。
いずれも全文はリンク先にてお読みいただきたいが主要部分は次の通り。

外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた 田中龍作ジャーナル 2016年2月4日
 民主党政権時の2010年4月19日、防衛、外務の官僚たちが、官邸に鳩山首相を訪ねた。
 官僚の一人は「アメリカ大使館と交渉した結果こうなった」と言って、3枚つづりの文書を鳩山に差し出した。
 文書のタイトルは「普天間移設問題に関する米側からの説明」。右肩には『極秘』の判が麗々しく押されている。
 “極秘文書”には米軍のマニュアルとして次のように書かれていた ―
 「航空部隊と陸上部隊の訓練の一体性を考えると、移転先は普天間から65マイル(105km)以内に限る」。
 沖縄全島は70マイル。沖縄以外はダメということだ。(移転先の候補にあがっていた)徳之島はあきらめろという内容である。
 「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。
 鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。
 極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。
 文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。

世紀のスキャンダル!? 鳩山元首相が「最低でも県外」公約を断念するきっかけとなった書類が今は存在しない!? 外務省が見せたペーパーに虚偽!? 虚偽公文書の作成の可能性も!? 岩上安身責任編集 IWJ  2016年2月4日
 2015年4月まで極秘文書扱いだったペーパーが、解禁となった。普天間飛行場の移設先として、沖縄県外に候補地を探していた鳩山総理(2010年当時)に対し、外務省の役人が3枚のペーパーを示した。そこに書かれていた内容を見て、鳩山総理は「県外移設」を断念した。ところが、その中身に虚偽の内容が含まれていたことが明らかになった。外務省の役人が虚偽文書を作成して時の総理を騙していたのか。事実確認を求めると外務省は「知らない」とその存在すら認めず、現在「調査中」だという。

 「(2010年)4月19日か20日だったかと思いますが、3枚の紙切れを持った外務省の役人がやってまいりまして、『大使館と交渉した結果こういうことになりました』と、その紙を見せられました」
 沖縄米軍の陸上部隊と海上部隊は、一緒に北部訓練場で訓練を行なう。その訓練の一体性を考えると、普天間基地がどこか遠くに移設され、そこまでの距離があまりにも長いと、移動等に時間がかかりすぎて訓練が十分にできない。その距離は65海里(約120km)以内であるべきだ、という基準が米軍のマニュアルにも明記されていると、その紙には書かれていたとのこと。
 当時、移設の候補地として鳩山氏が名前を上げていた徳之島までは、200kmをはるかに超える。
 「すなわち、これは徳之島をあきらめなさいというペーパーでございました」
 これが決定打となり県外移設を断念したと鳩山氏は当時を振り返る。
 鳩山氏によれば、「普天間移設問題に関する米側からの説明」と書かれたこの書類は、2015年4月まで極秘文書扱いだったとのこと。極秘期間が解けた後、琉球新報などに調査を依頼したところ、「アメリカ軍がマニュアルに明記してある」というのは事実ではなかったことが明らかになった。
 極秘指定の期間が終わり、あらためて外務省に、このペーパーについて、もう一度説明を求めた所、外務省の担当局は、時の総理の公約を撤回させた、極めて重要な文書でありながら、「いや、そんな紙はありません」と「知りません」と応えたとのこと。

2月16日には IWJ がさらに詳細なインタビューを行った。

2016/02/16 「最低でも県外」を翻させた外務省の「極秘文書」の存在に「虚偽」疑惑!官僚が総理をワナにはめた!? 岩上安身が鳩山由紀夫・元総理にインタビュー!真相に迫る!
 普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と公約していた鳩山元総理は、具体的には移設先の候補地として鹿児島県の徳之島を想定していた。
 ところが、問題の「普天間移設問題に関する米側からの説明」と題された、「極秘」のスタンプが押してある文書には、外務省担当者が在京アメリカ大使館から受けたとされる、“普天間飛行場を徳之島へ移設するのが難しい理由”が3枚にわたって記されている。
 その文書には、沖縄から徳之島までの距離が遠く、「恒常的に訓練を行なうための拠点との間の距離に関する基準」として「米軍のマニュアルに明記されている」という「65海里(120km)」を大きく超えるものという記載がある。しかし、インタビューに同席した川内博史・前衆議院議員によると、外務省を通じて米大使館に照会したところ、「そのようなマニュアルは米軍には存在しない」と回答されたというのだ。
 その上、外務省はこの文書の存在を確認できないとし、外務省の「極秘文書の管理簿」にも記載されていなかったと回答したという。時の総理に見せた文書は、外務省の公文書ではなかったのだろうか。

と前置きしたあとで、鳩山氏本人へのインタビューが、長文の記事として掲載されている。ぜひリンク先の記事をお読みいただきたい。

さらに、昨日、2月23日、東京都千代田区の外務省での岸田文雄外務大臣による記者会見を IWJ が報じている。
鳩山元総理に普天間「県外移設」を断念させた外務省極秘文書について岸田外務大臣「行政文書なのか確認できず」 一方で「距離の問題から難しいと米軍から説明あった」と曖昧回答(動画)

同じく2月23日、朝日新聞もこの件を報じた。

「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠 朝日新聞デジタル 2016年2月23日
 2010年に鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を断念する判断材料となった政府の内部文書を朝日新聞が入手した。米軍の「基準」としてヘリコプター部隊と訓練場との距離を「65カイリ(約120キロ)」以内と明示しているが、在日米軍司令部は朝日新聞の取材に「そのような基準はない」とした。

こちらも→鳩山氏に普天間県外移設断念させた政府文書の根拠不明

普天間基地の移設先として「最低でも県外」という主張は沖縄県民の民意からすれば当然の主張であった。しかし、日米安保村の官僚は、時の総理すら騙して、普天間基地の移設先を辺野古に押し付けた。当時、鳩山氏を「宇宙人」「ルーピー」などと揶揄して、マトモな議論すらしなかったマスメディアやニセ文化人の責任は大きい。いくら政敵であるにしろ、公人をこのように扱うのか、当時はまったく異常な空気だった。非自民政権の総理への敵愾心丸出しだった。

騙された側の鳩山氏に力量がなかったといえば、それはその通りだろうが、ニセ文書まで作成して時の総理を騙し続けて来た事の犯罪性は、曖昧にせず、問われなければならない。その背景には、時の民主党政権が掲げた「外交文書公開」方針への反発・安保村官僚の危機感があったのかもしれない。

外交文書公開、ルール化すべき…民主・前原氏

外交文書の自動公開規則を施行 外務省、作成30年後に

米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

日米安保村の官僚は、鳩山由紀夫個人を騙しただけではない。日本国民を騙し続けている。実は、米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討している。その都度、それを押しとどめてきたのは、むしろ日本側だった。
長くなりすぎたので、その話は次回に続く。続きはこちら。「米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側」

・画像は琉球新報から
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-215863.html

・偽文書に書かれていた内容について、報道によって「65マイル(約105km)」と「65カイリ(約120km)」が存在するが、写真付きで報じた琉球新報の2013年11月27日の記事や2016年2月23日の朝日の記事、現物(コピー)を手にインタビューに応じた IWJ の記事がいずれも「65カイリ(約120km)」としているので、こちらの方が正しいと思われる。
朝日の写真でははっきりと「65海里(約120km)」と読める。


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・注1
鳩山氏の発言・行動を時系列的に報道の中から拾ってみた。

2009年7月19日、民主党誕生前夜の選挙戦で同党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と語った。8月の衆議院総選挙で勝利。
2009年9月に鳩山内閣が発足したが、しかし、2010年3月23日、米軍普天間飛行場を全面返還しない可能性を記者団から問われ「すべてをゼロベースで考えている」と言明、普天間飛行場を存続させる可能性を示唆した。
2010年5月28日には県外移設を断念する案を発表。社民党は同月30日、連立政権からの離脱を決定した。
2010年6月2日首相と民主党代表辞任を正式表明(民主党の小沢一郎幹事長も同日、辞意を表明した)、6月8日に総辞職。普天間問題の迷走と自身の政治とカネの問題を主な理由とした。
・・・・・・・・・・・
2009年7月19日、民主党誕生前夜の選挙戦で同党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と語った。

普天間、県外移設「行動する」 民主党・鳩山代表 琉球新報 2009年7月20日
 民主党の鳩山由紀夫代表は19日、政権交代後の普天間飛行場代替施設への対応について「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」と、県外移設に前向きな発言をした。同党公認候補の選挙応援で訪れた沖縄市民会館で述べた。

翌年1月の名護市長選挙では、基地移設反対派の稲嶺進現市長を支援。しかし、2010年3月23日、米軍普天間飛行場を全面返還しない可能性を記者団から問われ「すべてをゼロベースで考えている」と言明、普天間飛行場を存続させる可能性を示唆した。鹿児島県徳之島などへの分散移転による解決策を念頭に置いていると思われる。
普天間移設 「最低でも県外」実行を
官僚に騙されて(当時は米国の猛反発があったと思われていた)、普天間基地の県外移設という公約の実現を断念した。

2011年2月

「抑止力は方便」断念理由後付け 鳩山前首相、普天間で証言 琉球新報 2011年2月13日
 【東京】鳩山由紀夫前首相は12日までに琉球新報などとのインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設交渉の全容を初めて語った。「県外移設」に具体的な見通しがなかったことを認めた。「県外」断念の理由とした在沖米海兵隊の「抑止力」については「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便といわれれば方便だった」と述べ、「県内」回帰ありきの「後付け」の説明だったことを明らかにした。

2012年5月

鳩山元首相単独インタビュー 対米交渉仕切り直せ  琉球新報 2012年5月16日
“ 鳩山氏は県外移設を達成できなかった要因について、防衛、外務官僚が辺野古回帰に執着する中、「官僚を飛び越え議論する環境をつくれなかった。私の力量の問題だった」と説明した

2012年11月、鳩山氏政界引退に際しての琉球新報のコラム

鳩山元首相引退 「県外」追求は正当だった 琉球新報 2012年11月22日
“09年の衆院選前の沖縄遊説で、鳩山氏は米軍普天間飛行場の返還・移設問題をめぐり、「最低でも県外移設」と強調した。
 県民は、県内移設の呪縛にとらわれた日米両政府の基地政策に風穴が開くという期待感を高めた。
 1996年の日米の返還合意以来、1ミリも動かない普天間飛行場の危険性と過重な基地負担にあえぐ県民の声に耳を傾け、鳩山氏が従属的な対米関係の見直しなどを模索したことは正当だった。
 だが、米国と気脈を通じて「県外移設」つぶしに暗躍した外務、防衛官僚らに包囲網を敷かれ、鳩山氏は2010年に辺野古移設に回帰した。指導力の弱さを突かれ、沖縄社会を大いに失望させた。
 鳩山氏は歴代首相で初めて、日本の安全保障政策の官僚支配の病弊と、沖縄への基地偏在に潜む差別的構造を可視化した。基地負担をこれ以上引き受けないという沖縄の民意がかつてなく強まるきっかけをつくった点で、歴史に刻まれることは間違いない。
 鳩山氏が対米関係を揺るがしたとみなす在京大手メディアは、普天間問題を鳩山氏個人の責任に矮小化することで、結果的に「県外移設」は困難と印象操作に走っている。木を見て森を見ない、アンフェアな見方と言わざるを得ない。
 今年5月の本土復帰40周年記念式典に出席した際、鳩山氏は本紙のインタビューで県外移設が実現できなかった最大の要因について「防衛、外務官僚は米側を通して辺野古でないと駄目だという理屈を導いた」と証言した。

2013年2月

普天間「北沢氏が非協力」 鳩山元首相、抑止力を再否定 琉球新報 2013年2月21日
“ヘリコプターを搭載する船を数隻建造し、普天間のヘリを移す案などを米側に打診するよう北沢俊美防衛相(当時)に依頼したが、北沢氏が米側に伝えていなかったと明かした。
県外移設先として九州移設や、それに伴うローテーション案、グアム、テニアン移設案が上がったと述べた。
 県外移設の実現を阻む官僚の動きがあり、閣僚やほとんどの民主党議員が非協力的だったことを指摘。外務、防衛両省の責任者との秘密会合が、翌朝の新聞に掲載されたとし「一度(前政権で)決めたことを蒸し返すのは迷惑だから、何とかつぶせ、と動いていた人たちがいた」と述べた。

鳩山元首相、外務、防衛が「妨害」 産経ニュース 2013年2月21日
 「米国の意向を忖度(そんたく)する外務、防衛両省がすべてを動かしている中で日本が真の独立を勝ち取ることはできない」
 鳩山由紀夫元首相は20日夜、米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市内で講演し、飛行場の県外移設が実現しなかったのは両省の妨害によるものだと断じた。
 さらに「県民の心を裏切り大変申し訳ない」と重ねて陳謝したものの、「『最低でも県外』が実現できなかった自分の非力さをおわびする。『最低でも県外』と言ったのは間違っていなかった」とも強調した。

2013年11月のこの琉球新報の記事が、「65カイリ基準存在せず」と報じた初めてのマスメディアの記事ではないだろうか。

鳩山政権、県外断念の根拠 65カイリ基準存在せず 琉球新報 2013年11月27日
 2010年に当時の鳩山政権が米軍普天間飛行場の鹿児島県・徳之島移設を検討した際、ヘリコプター部隊と演習場の距離を65カイリ(約120キロ)以内とする米軍の「基準」に基づき困難とされた件で、在沖米海兵隊が26日までに琉球新報の取材に答え「海兵隊の公式な基準、規則にはない」との見解を示した。

2014年1月に、この間の経緯をまとめた記事がweb上に出た。ただし、この記事では「官僚の圧力」については漠然と触れているが「文書の偽造」までは触れていない。

普天間基地「腹案だった? 幻の移設案」とは THE HUFFIGTON POST 2014年01月27日
「政権交代をしたのだから、すべてがそのままである必要はない。柔軟であっていいと。オバマさんの頭の中にも決して辺野古じゃないといけないよという気持ちはなかったと思います」
永田町を去ってから、沖縄について取材を受けるのは初めてという鳩山由紀夫元総理は、当時のことをそう振り返りました。
鳩山元総理が「最低でも県外」と言って政権交代をし、オバマ大統領に「トラスト・ミー」と告げた2009年。なかなか結論を出せないでいた民主党政権に対して、当時メディアは「アメリカが怒っている」と、苛立ったアメリカ政府が、さも辺野古移設への決断を迫っているかような報道をしていました。
「あの記事はおかしいよね。あれは官僚がマスコミにしたリークだと思う」と鳩山氏は言い、アメリカはあくまで辺野古にはこだわっていなかったと強調しました。
鳩山氏の言葉を裏付ける資料があります。2010年2月ワシントンDCでの日米交渉の記録です。

ジム・ウエブ上院議員 「日本における政治的現実を理解している」
リチャード・アーミテージ氏 「普天間の辺野古移設案は見直しある」
ケント・カルダー教授(ルース前日本大使のアドバイザー) 「危険除去が当初の目的で、湾岸にはみ出す必要はなかった。現行の辺野古案は実行可能ではない」

この日米交渉こそ、鳩山元総理のいう「腹案」の一つであった、「普天間飛行場のキャンプ・ハンセン移設案」について話し合われたものです。軍事アナリストの小川和久氏が提案し、もっとも早期に普天間飛行場の危険を除去する案として、鳩山氏が検討したものです。

しかし、2010年5月、再びペンタゴンで「ハンセン陸上案」について交渉していた小川氏と藤田氏のもとに届いたのが、時を同じくして沖縄を訪問した鳩山氏の「学べば、学ぶにつけ沖縄には抑止力が必要…」と辺野古移設に傾いた発言でした。
ワシントンDCでの交渉中、ネットでこのニュースを見た小川氏は「バカヤロー」と思わず叫んでしまったそうです。
「アメリカ側は小川案で一本化するならそれでいいと、のめるという温度だったのに、一本化するどころか、並行して官僚が議論していた辺野古案に総理がぶれた」
一体、なぜぶれたのかという問いに鳩山氏はこう答えました。
「『最低でも県外』のメッセージに合わないところがあった。さらに、辺野古以外の選択肢を防衛省、外務省から提示されたことがなかった。なんとか辺野古に戻したいという気持ちが官僚にはありましたよね。普天間の早期危険除去という意味で、小川案は大変、有力、有望な案だと思いながら、周囲の動きを押し返せず、十分まとめきれなかったのは残念」

2014年12月のインタビューでは、インタビュアーが『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者・矢部宏治氏ということもあって、官僚の圧力についてより突っ込んだ話をしている。

鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』 2014年12月15日
“矢部 鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?
鳩山 物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。
お恥ずかしい話ですが、(「日米合同委員会」の存在は)わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。
私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。
それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。
そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。
自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

・リンク先のサイトは2015/03/14付けだが、オリジナルの記事・週プレNEWSは、2014年12月15日(月)配信。
 このインタビューは日本の官僚の支配構造の一端を知る上で重要と思います。全文をお読みになることをお勧めします。

2014年12月22日

鳩山氏自身のツイート 2015年2月26日
誠に恥ずかしい限りではあるが、総理時代に米国と官僚の厚い壁に歯が立たなかった所以がここにある。日本がアメリカに従属している構図は極めて強固であり、霞が関には従属の完成系が存在している。こんな情けない日本を自立させ、対米従属からの脱却の旅に出る政治家は現れてないのであろうか。

2015年2月

【特報】鳩山由紀夫・元首相が沖縄県辺野古を訪問、過去の公約違反を住民に謝罪、米軍による抑止力肯定論を「撤回をいたします」 ライブドアニュース 2015年2月26日
“「わたしに対してみなさまが、さまざまなご感情を持っておられることはよく存じております。総理時代に最低でも県外へ、できれば国外へと申し上げたことが、実現できなかったことが本当に悔しいですが、申し訳なく思っています。ただ、この思いは、総理を辞めた後も、実は変わっておりません。それだけに沖縄のみな様方の総意の気持ちに従いながら、反省の中で行動を起こしてまいりたい、そう思っております。」
と、述べた。また、米軍の抑止力を肯定したことについては、次のように謝罪した。
「自分の信念を曲げて、抑止力という言葉を使ってしまいました。申し訳なく思っております。従って撤回をいたします」

2015年7月
「米が呼び出し」虚偽か 09年、普天間移設で外務省 琉球新報 2015年7月6日

2015年9月

鳩山元首相「官僚が情報操作」 辺野古回帰でシンポ 琉球新報 2015年9月7日
 鳩山氏は首相時代、防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だったことなどを挙げ「防衛、外務官僚は一度決めた辺野古移設を蒸し返されては困るから、米側の意向も忖度(そんたく)して辺野古しかないとリードした」と述べた。「大臣も役所に取り込まれ、大手メディアも既得権にどっぷり漬かり、壁を破れなかったのは私の力量不足だった」とした。

2016年2月4日の「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」という講演会以降のことは本文の通り。2/16のIWJインタビューはこちらにも転載されている。

こちらも参考に。

『普天間移設 日米の深層』 鳩山元首相の孤軍奮闘描く 琉球新報 2014年11月16日
2009年7月19日、民主党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と沖縄市民会館で打ち上げた。それは政権をとった民主党の重要政策となった。
 新政権が沖縄県民の気持ちを反映し、米国と「最低でも県外」で交渉するのは当然のシナリオである。ここからすさまじい巻き返しが始まった。
 政治家(しかも与党の)、官僚らが足を引っ張る。本来、こんな非民主的行動は徹底して糾弾すべきであるが、マスコミは沈黙してきていた。
 琉球新報は「日米廻り舞台」の連載を行い、それがこの本の基礎となっている。

普天間基地問題の核心を報じない大手メディア マガジン9 2011-02-09
鳩山発言を矮小化する中央メディアと政治家 マガジン9 2011-02-23
本土メディアが伝えなかった沖縄復帰40周年記念式典でのこと マガジン9 2012-05-23
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ウィキリークスが暴露した米公電の中に、米国が鳩山ー小沢民主党政権を切り捨てて菅民主党政権を傀儡化
・こちらは真偽のほどは確認しようがないが、、、、。


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