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【普天間・辺野古問題】安保村の官僚は時の総理(鳩山元首相)すら騙して、基地を押し付ける。

外務・防衛官僚によって作られた「ニセ公文書」で、「辺野古移設」は決められた。「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先される。

鳩山氏を騙したニセ文書

鳩山元首相がニセ文書で防衛省と外務省に騙された、ということがネットで話題になっている。鳩山政権時に普天間県外移設を妨害したのは日本の防衛省と外務省。しかもニセ文書まで作成して、「辺野古への移設案」を鳩山氏にのませたという話だ。

日米安保村の官僚は、時の総理すら騙す

当初「最低でも県外」と主張していた鳩山氏は、その後断念。辞任後、県外移設を断念した理由について、防衛、外務官僚の妨害を、自身の力量不足とともに上げた(注1)。
県外移設のいくつかの案のうち、「鹿児島県徳之島などへの分散移転案」を不可能にしたのは米軍の「65カイリ以内」という規定だとされてきたが、実はその文書が「偽造」だった。

2013年11月のこの琉球新報の記事が、「65カイリ基準存在せず」と報じた初めてのマスメディアの記事ではないだろうか。

鳩山政権、県外断念の根拠 65カイリ基準存在せず 琉球新報 2013年11月27日
2010年に当時の鳩山政権が米軍普天間飛行場の鹿児島県・徳之島移設を検討した際、ヘリコプター部隊と演習場の距離を65カイリ(約120キロ)以内とする米軍の「基準」に基づき困難とされた件で、在沖米海兵隊が26日までに琉球新報の取材に答え「海兵隊の公式な基準、規則にはない」との見解を示した。

2014年12月の矢部宏治氏によるインタビューでは、文書の件については触れていないが、官僚の圧力についてより突っ込んだ話をしている。

鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』 2014年12月15日
本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。
お恥ずかしい話ですが、(「日米合同委員会」の存在は)わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。
私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。
それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。
自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

・リンク先のサイトは2015/03/14付けだが、オリジナルの記事・週プレNEWSは、2014年12月15日(月)配信。このインタビューは日本の官僚の支配構造の一端を知る上で重要と思います。全文をお読みになることをお勧めします。

2015年9月には、「防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だった」と述べている。

鳩山元首相「官僚が情報操作」 辺野古回帰でシンポ 琉球新報 2015年9月7日
鳩山氏は首相時代、防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だったことなどを挙げ「防衛、外務官僚は一度決めた辺野古移設を蒸し返されては困るから、米側の意向も忖度(そんたく)して辺野古しかないとリードした」と述べた。「大臣も役所に取り込まれ、大手メディアも既得権にどっぷり漬かり、壁を破れなかったのは私の力量不足だった」とした。

この問題を一気に広げたのは、2016年2月4日の「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」という講演会だろう。

検索いただければ、同様の動画サイトがいくつかある。

これを報じた田中龍作ジャーナル岩上安身 IWJ Independent Web Journalの記事を紹介させていただく。
いずれも全文はリンク先にてお読みいただきたいが主要部分は次の通り。

外務省と防衛省が首相をハメ、辺野古に戻させた 田中龍作ジャーナル 2016年2月4日
 民主党政権時の2010年4月19日、防衛、外務の官僚たちが、官邸に鳩山首相を訪ねた。
 官僚の一人は「アメリカ大使館と交渉した結果こうなった」と言って、3枚つづりの文書を鳩山に差し出した。
 文書のタイトルは「普天間移設問題に関する米側からの説明」。右肩には『極秘』の判が麗々しく押されている。
 “極秘文書”には米軍のマニュアルとして次のように書かれていた ―
 「航空部隊と陸上部隊の訓練の一体性を考えると、移転先は普天間から65マイル(105km)以内に限る」。
 沖縄全島は70マイル。沖縄以外はダメということだ。(移転先の候補にあがっていた)徳之島はあきらめろという内容である。
 「アメリカがそういう条件であれば、沖縄以外に持って行くことは不可能」。鳩山は県外移設を断念した。
 鳩山は決定打となった米軍マニュアルについて琉球新報に調べてもらったが、そんなマニュアルはどこにもなかった。
 極秘の指定期間は2015年4月18日。極秘が解除されたため、鳩山側近の川内博元衆院議員が外務省に問い合わせた。
 文書を扱う大臣官房総務課は「公文書ではない。外務省が作成したものかどうか分からない」と回答した。“極秘文書”はガセだったのである。

世紀のスキャンダル!? 鳩山元首相が「最低でも県外」公約を断念するきっかけとなった書類が今は存在しない!? 外務省が見せたペーパーに虚偽!? 虚偽公文書の作成の可能性も!? 岩上安身責任編集 IWJ  2016年2月4日
 2015年4月まで極秘文書扱いだったペーパーが、解禁となった。普天間飛行場の移設先として、沖縄県外に候補地を探していた鳩山総理(2010年当時)に対し、外務省の役人が3枚のペーパーを示した。そこに書かれていた内容を見て、鳩山総理は「県外移設」を断念した。ところが、その中身に虚偽の内容が含まれていたことが明らかになった。外務省の役人が虚偽文書を作成して時の総理を騙していたのか。事実確認を求めると外務省は「知らない」とその存在すら認めず、現在「調査中」だという。

 「(2010年)4月19日か20日だったかと思いますが、3枚の紙切れを持った外務省の役人がやってまいりまして、『大使館と交渉した結果こういうことになりました』と、その紙を見せられました」
 沖縄米軍の陸上部隊と海上部隊は、一緒に北部訓練場で訓練を行なう。その訓練の一体性を考えると、普天間基地がどこか遠くに移設され、そこまでの距離があまりにも長いと、移動等に時間がかかりすぎて訓練が十分にできない。その距離は65海里(約120km)以内であるべきだ、という基準が米軍のマニュアルにも明記されていると、その紙には書かれていたとのこと。
 当時、移設の候補地として鳩山氏が名前を上げていた徳之島までは、200kmをはるかに超える。
 「すなわち、これは徳之島をあきらめなさいというペーパーでございました」
 これが決定打となり県外移設を断念したと鳩山氏は当時を振り返る。
 鳩山氏によれば、「普天間移設問題に関する米側からの説明」と書かれたこの書類は、2015年4月まで極秘文書扱いだったとのこと。極秘期間が解けた後、琉球新報などに調査を依頼したところ、「アメリカ軍がマニュアルに明記してある」というのは事実ではなかったことが明らかになった。
 極秘指定の期間が終わり、あらためて外務省に、このペーパーについて、もう一度説明を求めた所、外務省の担当局は、時の総理の公約を撤回させた、極めて重要な文書でありながら、「いや、そんな紙はありません」と「知りません」と応えたとのこと。

2月16日には IWJ がさらに詳細なインタビューを行った。

2016/02/16 「最低でも県外」を翻させた外務省の「極秘文書」の存在に「虚偽」疑惑!官僚が総理をワナにはめた!? 岩上安身が鳩山由紀夫・元総理にインタビュー!真相に迫る!
 普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と公約していた鳩山元総理は、具体的には移設先の候補地として鹿児島県の徳之島を想定していた。
 ところが、問題の「普天間移設問題に関する米側からの説明」と題された、「極秘」のスタンプが押してある文書には、外務省担当者が在京アメリカ大使館から受けたとされる、“普天間飛行場を徳之島へ移設するのが難しい理由”が3枚にわたって記されている。
 その文書には、沖縄から徳之島までの距離が遠く、「恒常的に訓練を行なうための拠点との間の距離に関する基準」として「米軍のマニュアルに明記されている」という「65海里(120km)」を大きく超えるものという記載がある。しかし、インタビューに同席した川内博史・前衆議院議員によると、外務省を通じて米大使館に照会したところ、「そのようなマニュアルは米軍には存在しない」と回答されたというのだ。
 その上、外務省はこの文書の存在を確認できないとし、外務省の「極秘文書の管理簿」にも記載されていなかったと回答したという。時の総理に見せた文書は、外務省の公文書ではなかったのだろうか。

と前置きしたあとで、鳩山氏本人へのインタビューが、長文の記事として掲載されている。ぜひリンク先の記事をお読みいただきたい。

さらに、昨日、2月23日、東京都千代田区の外務省での岸田文雄外務大臣による記者会見を IWJ が報じている。
鳩山元総理に普天間「県外移設」を断念させた外務省極秘文書について岸田外務大臣「行政文書なのか確認できず」 一方で「距離の問題から難しいと米軍から説明あった」と曖昧回答(動画)

同じく2月23日、朝日新聞もこの件を報じた。

「65カイリ基準」米軍否定 普天間県外移設断念の根拠 朝日新聞デジタル 2016年2月23日
 2010年に鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移設を断念する判断材料となった政府の内部文書を朝日新聞が入手した。米軍の「基準」としてヘリコプター部隊と訓練場との距離を「65カイリ(約120キロ)」以内と明示しているが、在日米軍司令部は朝日新聞の取材に「そのような基準はない」とした。

こちらも→鳩山氏に普天間県外移設断念させた政府文書の根拠不明

普天間基地の移設先として「最低でも県外」という主張は沖縄県民の民意からすれば当然の主張であった。しかし、日米安保村の官僚は、時の総理すら騙して、普天間基地の移設先を辺野古に押し付けた。当時、鳩山氏を「宇宙人」「ルーピー」などと揶揄して、マトモな議論すらしなかったマスメディアやニセ文化人の責任は大きい。いくら政敵であるにしろ、公人をこのように扱うのか、当時はまったく異常な空気だった。非自民政権の総理への敵愾心丸出しだった。

騙された側の鳩山氏に力量がなかったといえば、それはその通りだろうが、ニセ文書まで作成して時の総理を騙し続けて来た事の犯罪性は、曖昧にせず、問われなければならない。その背景には、時の民主党政権が掲げた「外交文書公開」方針への反発・安保村官僚の危機感があったのかもしれない。

外交文書公開、ルール化すべき…民主・前原氏

外交文書の自動公開規則を施行 外務省、作成30年後に

米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

日米安保村の官僚は、鳩山由紀夫個人を騙しただけではない。日本国民を騙し続けている。実は、米軍は沖縄からの部分撤退や縮小を何度も検討している。その都度、それを押しとどめてきたのは、むしろ日本側だった。
長くなりすぎたので、その話は次回に続く。続きはこちら。「米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側」

・画像は琉球新報から
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-215863.html

・偽文書に書かれていた内容について、報道によって「65マイル(約105km)」と「65カイリ(約120km)」が存在するが、写真付きで報じた琉球新報の2013年11月27日の記事や2016年2月23日の朝日の記事、現物(コピー)を手にインタビューに応じた IWJ の記事がいずれも「65カイリ(約120km)」としているので、こちらの方が正しいと思われる。
朝日の写真でははっきりと「65海里(約120km)」と読める。

こちらも。[関連記事]
【普天間、辺野古問題】「辺野古移設が普天間の危険性除去の唯一の解決策」か。在沖米海兵隊削減は、日米両政府で合意済み。削減される部隊のための新基地も旧基地もいらない。


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・注1
鳩山氏の発言・行動を時系列的に報道の中から拾ってみた。

2009年7月19日、民主党誕生前夜の選挙戦で同党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と語った。8月の衆議院総選挙で勝利。
2009年9月に鳩山内閣が発足したが、しかし、2010年3月23日、米軍普天間飛行場を全面返還しない可能性を記者団から問われ「すべてをゼロベースで考えている」と言明、普天間飛行場を存続させる可能性を示唆した。
2010年5月28日には県外移設を断念する案を発表。社民党は同月30日、連立政権からの離脱を決定した。
2010年6月2日首相と民主党代表辞任を正式表明(民主党の小沢一郎幹事長も同日、辞意を表明した)、6月8日に総辞職。普天間問題の迷走と自身の政治とカネの問題を主な理由とした。
・・・・・・・・・・・
2009年7月19日、民主党誕生前夜の選挙戦で同党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と語った。

普天間、県外移設「行動する」 民主党・鳩山代表 琉球新報 2009年7月20日
 民主党の鳩山由紀夫代表は19日、政権交代後の普天間飛行場代替施設への対応について「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向で、われわれも積極的に行動を起こさなければならない」と、県外移設に前向きな発言をした。同党公認候補の選挙応援で訪れた沖縄市民会館で述べた。

翌年1月の名護市長選挙では、基地移設反対派の稲嶺進現市長を支援。しかし、2010年3月23日、米軍普天間飛行場を全面返還しない可能性を記者団から問われ「すべてをゼロベースで考えている」と言明、普天間飛行場を存続させる可能性を示唆した。鹿児島県徳之島などへの分散移転による解決策を念頭に置いていると思われる。
普天間移設 「最低でも県外」実行を
官僚に騙されて(当時は米国の猛反発があったと思われていた)、普天間基地の県外移設という公約の実現を断念した。

2011年2月

「抑止力は方便」断念理由後付け 鳩山前首相、普天間で証言 琉球新報 2011年2月13日
 【東京】鳩山由紀夫前首相は12日までに琉球新報などとのインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設交渉の全容を初めて語った。「県外移設」に具体的な見通しがなかったことを認めた。「県外」断念の理由とした在沖米海兵隊の「抑止力」については「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便といわれれば方便だった」と述べ、「県内」回帰ありきの「後付け」の説明だったことを明らかにした。

2012年5月

鳩山元首相単独インタビュー 対米交渉仕切り直せ  琉球新報 2012年5月16日
“ 鳩山氏は県外移設を達成できなかった要因について、防衛、外務官僚が辺野古回帰に執着する中、「官僚を飛び越え議論する環境をつくれなかった。私の力量の問題だった」と説明した

2012年11月、鳩山氏政界引退に際しての琉球新報のコラム

鳩山元首相引退 「県外」追求は正当だった 琉球新報 2012年11月22日
“09年の衆院選前の沖縄遊説で、鳩山氏は米軍普天間飛行場の返還・移設問題をめぐり、「最低でも県外移設」と強調した。
 県民は、県内移設の呪縛にとらわれた日米両政府の基地政策に風穴が開くという期待感を高めた。
 1996年の日米の返還合意以来、1ミリも動かない普天間飛行場の危険性と過重な基地負担にあえぐ県民の声に耳を傾け、鳩山氏が従属的な対米関係の見直しなどを模索したことは正当だった。
 だが、米国と気脈を通じて「県外移設」つぶしに暗躍した外務、防衛官僚らに包囲網を敷かれ、鳩山氏は2010年に辺野古移設に回帰した。指導力の弱さを突かれ、沖縄社会を大いに失望させた。
 鳩山氏は歴代首相で初めて、日本の安全保障政策の官僚支配の病弊と、沖縄への基地偏在に潜む差別的構造を可視化した。基地負担をこれ以上引き受けないという沖縄の民意がかつてなく強まるきっかけをつくった点で、歴史に刻まれることは間違いない。
 鳩山氏が対米関係を揺るがしたとみなす在京大手メディアは、普天間問題を鳩山氏個人の責任に矮小化することで、結果的に「県外移設」は困難と印象操作に走っている。木を見て森を見ない、アンフェアな見方と言わざるを得ない。
 今年5月の本土復帰40周年記念式典に出席した際、鳩山氏は本紙のインタビューで県外移設が実現できなかった最大の要因について「防衛、外務官僚は米側を通して辺野古でないと駄目だという理屈を導いた」と証言した。

2013年2月

普天間「北沢氏が非協力」 鳩山元首相、抑止力を再否定 琉球新報 2013年2月21日
“ヘリコプターを搭載する船を数隻建造し、普天間のヘリを移す案などを米側に打診するよう北沢俊美防衛相(当時)に依頼したが、北沢氏が米側に伝えていなかったと明かした。
県外移設先として九州移設や、それに伴うローテーション案、グアム、テニアン移設案が上がったと述べた。
 県外移設の実現を阻む官僚の動きがあり、閣僚やほとんどの民主党議員が非協力的だったことを指摘。外務、防衛両省の責任者との秘密会合が、翌朝の新聞に掲載されたとし「一度(前政権で)決めたことを蒸し返すのは迷惑だから、何とかつぶせ、と動いていた人たちがいた」と述べた。

鳩山元首相、外務、防衛が「妨害」 産経ニュース 2013年2月21日
 「米国の意向を忖度(そんたく)する外務、防衛両省がすべてを動かしている中で日本が真の独立を勝ち取ることはできない」
 鳩山由紀夫元首相は20日夜、米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市内で講演し、飛行場の県外移設が実現しなかったのは両省の妨害によるものだと断じた。
 さらに「県民の心を裏切り大変申し訳ない」と重ねて陳謝したものの、「『最低でも県外』が実現できなかった自分の非力さをおわびする。『最低でも県外』と言ったのは間違っていなかった」とも強調した。

2013年11月のこの琉球新報の記事が、「65カイリ基準存在せず」と報じた初めてのマスメディアの記事ではないだろうか。

鳩山政権、県外断念の根拠 65カイリ基準存在せず 琉球新報 2013年11月27日
 2010年に当時の鳩山政権が米軍普天間飛行場の鹿児島県・徳之島移設を検討した際、ヘリコプター部隊と演習場の距離を65カイリ(約120キロ)以内とする米軍の「基準」に基づき困難とされた件で、在沖米海兵隊が26日までに琉球新報の取材に答え「海兵隊の公式な基準、規則にはない」との見解を示した。

2014年1月に、この間の経緯をまとめた記事がweb上に出た。ただし、この記事では「官僚の圧力」については漠然と触れているが「文書の偽造」までは触れていない。

普天間基地「腹案だった? 幻の移設案」とは THE HUFFIGTON POST 2014年01月27日
「政権交代をしたのだから、すべてがそのままである必要はない。柔軟であっていいと。オバマさんの頭の中にも決して辺野古じゃないといけないよという気持ちはなかったと思います」
永田町を去ってから、沖縄について取材を受けるのは初めてという鳩山由紀夫元総理は、当時のことをそう振り返りました。
鳩山元総理が「最低でも県外」と言って政権交代をし、オバマ大統領に「トラスト・ミー」と告げた2009年。なかなか結論を出せないでいた民主党政権に対して、当時メディアは「アメリカが怒っている」と、苛立ったアメリカ政府が、さも辺野古移設への決断を迫っているかような報道をしていました。
「あの記事はおかしいよね。あれは官僚がマスコミにしたリークだと思う」と鳩山氏は言い、アメリカはあくまで辺野古にはこだわっていなかったと強調しました。
鳩山氏の言葉を裏付ける資料があります。2010年2月ワシントンDCでの日米交渉の記録です。

ジム・ウエブ上院議員 「日本における政治的現実を理解している」
リチャード・アーミテージ氏 「普天間の辺野古移設案は見直しある」
ケント・カルダー教授(ルース前日本大使のアドバイザー) 「危険除去が当初の目的で、湾岸にはみ出す必要はなかった。現行の辺野古案は実行可能ではない」

この日米交渉こそ、鳩山元総理のいう「腹案」の一つであった、「普天間飛行場のキャンプ・ハンセン移設案」について話し合われたものです。軍事アナリストの小川和久氏が提案し、もっとも早期に普天間飛行場の危険を除去する案として、鳩山氏が検討したものです。

しかし、2010年5月、再びペンタゴンで「ハンセン陸上案」について交渉していた小川氏と藤田氏のもとに届いたのが、時を同じくして沖縄を訪問した鳩山氏の「学べば、学ぶにつけ沖縄には抑止力が必要…」と辺野古移設に傾いた発言でした。
ワシントンDCでの交渉中、ネットでこのニュースを見た小川氏は「バカヤロー」と思わず叫んでしまったそうです。
「アメリカ側は小川案で一本化するならそれでいいと、のめるという温度だったのに、一本化するどころか、並行して官僚が議論していた辺野古案に総理がぶれた」
一体、なぜぶれたのかという問いに鳩山氏はこう答えました。
「『最低でも県外』のメッセージに合わないところがあった。さらに、辺野古以外の選択肢を防衛省、外務省から提示されたことがなかった。なんとか辺野古に戻したいという気持ちが官僚にはありましたよね。普天間の早期危険除去という意味で、小川案は大変、有力、有望な案だと思いながら、周囲の動きを押し返せず、十分まとめきれなかったのは残念」

2014年12月のインタビューでは、インタビュアーが『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』の著者・矢部宏治氏ということもあって、官僚の圧力についてより突っ込んだ話をしている。

鳩山由紀夫氏:首相の時はわからなかった「見えない敵」の正体/『それはつまり「日米合同委員会」の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということ』 2014年12月15日
“矢部 鳩山さんは以前、インタビューで「官僚たちは総理である自分ではなく『何か別のもの』に忠誠を誓っているように感じた」と言われていましたが、その正体がなんであるか、当時はわからなかったのでしょうか?
鳩山 物事が自分の思いどおりに進まないのは、自分自身の力不足という程度にしか思っていませんでした。本来ならば協力してくれるはずの官僚の皆さんには、自分の提案を「米軍側との協議の結果」と言って、すべてはね返されてしまって。分厚い壁の存在は感じながらも「やっぱりアメリカはキツイんだなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。その裏側、深淵の部分まで自分の考えは届いていなかったのです。
お恥ずかしい話ですが、(「日米合同委員会」の存在は)わかりませんでした。日米で月に2度も、それも米軍と外務省や法務省、財務省などのトップクラスの官僚たちが、政府の中の議論以上に密な議論をしていたとは! しかもその内容は基本的には表に出ない。
私が総理の時にアメリカから「規制改革をやれ」という話があって、向こうからの要望書に従って郵政の民営化とかがドンドンと押しつけられた。そこで「この規制改革委員会はおかしいぞ」というところまでは当時もわかっていたのですが。
それはつまり日米合同委員会の決定事項が、憲法も含めた日本の法律よりも優先されるということですよね。そのことを総理大臣の私は知らなかったのに、検事総長は知っていたし役人も知っていたわけだ。
そういうものが舞台裏で、しかも、憲法以上の力を持った存在として成り立っていたとしても、決してメディアで報道されることもないし、このメンバー以外にはほとんど知られないような仕組みになっているわけですよね。
自民党政権と官僚機構が完全に一体化していたということです。野党は圧倒的に情報過疎に置かれているのは事実で、国民はその野党よりも情報が少ない。

・リンク先のサイトは2015/03/14付けだが、オリジナルの記事・週プレNEWSは、2014年12月15日(月)配信。
 このインタビューは日本の官僚の支配構造の一端を知る上で重要と思います。全文をお読みになることをお勧めします。

2014年12月22日

鳩山氏自身のツイート 2015年2月26日
誠に恥ずかしい限りではあるが、総理時代に米国と官僚の厚い壁に歯が立たなかった所以がここにある。日本がアメリカに従属している構図は極めて強固であり、霞が関には従属の完成系が存在している。こんな情けない日本を自立させ、対米従属からの脱却の旅に出る政治家は現れてないのであろうか。

2015年2月

【特報】鳩山由紀夫・元首相が沖縄県辺野古を訪問、過去の公約違反を住民に謝罪、米軍による抑止力肯定論を「撤回をいたします」 ライブドアニュース 2015年2月26日
“「わたしに対してみなさまが、さまざまなご感情を持っておられることはよく存じております。総理時代に最低でも県外へ、できれば国外へと申し上げたことが、実現できなかったことが本当に悔しいですが、申し訳なく思っています。ただ、この思いは、総理を辞めた後も、実は変わっておりません。それだけに沖縄のみな様方の総意の気持ちに従いながら、反省の中で行動を起こしてまいりたい、そう思っております。」
と、述べた。また、米軍の抑止力を肯定したことについては、次のように謝罪した。
「自分の信念を曲げて、抑止力という言葉を使ってしまいました。申し訳なく思っております。従って撤回をいたします」

2015年7月
「米が呼び出し」虚偽か 09年、普天間移設で外務省 琉球新報 2015年7月6日

2015年9月

鳩山元首相「官僚が情報操作」 辺野古回帰でシンポ 琉球新報 2015年9月7日
 鳩山氏は首相時代、防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だったことなどを挙げ「防衛、外務官僚は一度決めた辺野古移設を蒸し返されては困るから、米側の意向も忖度(そんたく)して辺野古しかないとリードした」と述べた。「大臣も役所に取り込まれ、大手メディアも既得権にどっぷり漬かり、壁を破れなかったのは私の力量不足だった」とした。

2016年2月4日の「鳩山元総理が明かす『辺野古新基地』の真相」という講演会以降のことは本文の通り。2/16のIWJインタビューはこちらにも転載されている。

こちらも参考に。

『普天間移設 日米の深層』 鳩山元首相の孤軍奮闘描く 琉球新報 2014年11月16日
2009年7月19日、民主党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と沖縄市民会館で打ち上げた。それは政権をとった民主党の重要政策となった。
 新政権が沖縄県民の気持ちを反映し、米国と「最低でも県外」で交渉するのは当然のシナリオである。ここからすさまじい巻き返しが始まった。
 政治家(しかも与党の)、官僚らが足を引っ張る。本来、こんな非民主的行動は徹底して糾弾すべきであるが、マスコミは沈黙してきていた。
 琉球新報は「日米廻り舞台」の連載を行い、それがこの本の基礎となっている。

普天間基地問題の核心を報じない大手メディア マガジン9 2011-02-09
鳩山発言を矮小化する中央メディアと政治家 マガジン9 2011-02-23
本土メディアが伝えなかった沖縄復帰40周年記念式典でのこと マガジン9 2012-05-23
・・・・・・・・・・・・・・
ウィキリークスが暴露した米公電の中に、米国が鳩山ー小沢民主党政権を切り捨てて菅民主党政権を傀儡化
・こちらは真偽のほどは確認しようがないが、、、、。


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