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【普天間、辺野古問題】「辺野古移設が普天間の危険性除去の唯一の解決策」か。在沖米海兵隊削減は、日米両政府で合意済み。削減される部隊のための新基地も旧基地もいらない。

「辺野古移設が唯一の普天間の危険性除去の解決策」の二択ではない。「辺野古新基地が完成しなければ海兵隊削減もない」もウソ。

オバマが、海兵隊の縮小移転に言及

沖縄県知事選は、辺野古新基地建設反対を明確にした玉城デニー氏が、予想以上の大差で当選した。
開票後のNHK番組で、菅官房長官は「移設計画が実現すれば沖縄の海兵隊は削減される」と述べた(注1)。これは、移設計画と削減計画は切り離して実行されるという日米合意に反している。事実に反してまで「新基地建設が完成しなければ海兵隊削減もない」と、基地建設に反対する沖縄の民意を恫喝したに等しい。
今後、普天間基地閉鎖、辺野古新基地建設問題が、大きな焦点となると予想される。このサイトでは何度かこの問題に触れてきたが、この「海兵隊削減」の件も含め、普天間・辺野古問題について、改めてまとめておきたい。

【普天間、辺野古問題】「辺野古移設が唯一の普天間の危険性除去の解決策」か。削減される部隊のための新基地も旧基地もいらない。

1. 普天間基地建設は、そもそもハーグ陸戦規定違反。速やかに無条件で返還すべき。

普天間基地は、1945年沖縄戦の最中に本土爆撃用として建設が始まった。基地建設は未完成のまま、終戦を迎えた。
収容所に集められていた住民は、1946〜47年頃、帰村を許されるがかつて自分達の家や畑や墓があった場所は基地となっていたため、その周辺に住み始めた。
ハーグ陸戦条約は、私有財産の没収や略奪を禁じている。例外的に「戦争ノ必要上万已ムヲ得サル場合」は「敵ノ財産ヲ破壊シ又ハ押収スルコト」が認められているが、戦争が終了した時点で、無条件で返還されるべきであった。
ところが、返還されるどころか、1950年の朝鮮戦争勃発で、沖縄の戦略的価値が見直され、基地の恒久化を目的とした建設が進められることとなった。滑走路は拡張再整備され「銃剣とブルドーザー」による強制接収で1952年には2400mに、1953年には2,800メートル(9,000フィート)に延長され、ナイキミサイルが配備された。1950年代半ばにほぼ現在の普天間基地やキャンプ瑞慶覧の原型が形作られた。1955年には宜野湾村伊佐浜でも土地の強制接収が行われた。(注2)

2. 1995年、米兵による女子児童暴行事件、1996年、SACO合意(SACO最終報告)。

1995年、米兵による少女暴行事件が起きた。これは氷山の一角にすぎなかった。米兵による事件・事故は数え切れないほどある(注3)。県民の怒りの世論を背景に、当時の太田沖縄県知事は、米軍用地の強制使用手続きの一環である「代理署名」(注4)を拒否した。10月には85,000人を集めた集会が開かれた。これらの動きは、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や、日米地位協定の見直しを求める訴えが高まるきっかけとなり、沖縄県知事も政府に対して強くその実行を迫った。

「(米兵による少女暴行事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した」と駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)は語った。(注5)

これに対し日米両政府は、11月「沖縄における施設および区域に関する特別行動委員会(SACO)」第1回会合を開催。96年12月に最終報告を出し、普天間基地などの返還を決めた。

SACO現状報告は、普天間に関する特別作業班に対し、3つの具体的代替案、すなわち(1)ヘリポートの嘉手納飛行場への集約、(2)キャンプ・シュワブにおけるヘリポートの建設、並びに(3)海上施設の開発及び建設について検討するよう求めた。
平成8年12月2日、SCCは、海上施設案を追求するとのSACOの勧告を承認した。海上施設は、他の2案に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである。
SACO最終報告(仮訳)

そもそも、普天間飛行場など在沖縄米軍基地11施設の返還について合意したSACO合意は、普天間返還にあたって嘉手納基地統合案やキャンプシュワブ統合案と並んで、「撤去可能な海上フロート」を東海岸に浮かべるという案だった。海上フロート案が、3つの案のうち”最善の選択”であるとされた。
SACO合意は、辺野古でもなければ、埋め立てでもなかった。まして、普天間基地の機能強化となる「新基地建設」ではなかった。新基地は、撤去可能であるどころか耐用年数200年、しかも現在の普天間基地にはない”辺野古弾薬庫との一体運用” “爆薬搭載エリア(現在はわざわざ嘉手納基地に移動して搭載している)” “大型艦船の接岸機能”などの機能が強化されている。

SACO合意の「撤去可能な」鉄の箱を浮かべるという程度の海上ヘリポート案ですら、沖縄県民は受け入れられなかった。現在のような「新基地建設」が受け入れられるはずがない。

3. 2009年、民主党鳩山政権「最低でも県外」、それを押しとどめたのは日本の官僚。米軍はたびたび削減や撤退を検討してきた。それを押しとどめてきたのも日本側。

2009年7月19日、民主党政権誕生前夜の選挙戦で同党代表の鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と語った。8月の衆議院総選挙で勝利し、民主党政権が誕生した。
しかし、2010年5月28日には県外移設を断念する案を発表。社民党は同月30日、連立政権からの離脱を決定した。2010年6月2日首相と民主党代表辞任を正式表明(民主党の小沢一郎幹事長も同日、辞意を表明した)、6月8日に総辞職。

「最低でも県外」は、沖縄県民の民意から見れば当然の「公約」だった。しかし、結果として民主党鳩山政権は、この公約を実現できなかった。当時は「迷走」などと揶揄されたが、この公約実現を妨害したのは、日本の外務・防衛官僚であった。(注6)

このことと合わせて指摘しておきたいのは、実は、米軍はたびたび削減や撤退を検討してきた。1968年の在日米軍再編計画、沖縄の本土復帰の1972年、少女暴行事件とSACO合意の1996年、2006年日米合意、、、その都度それを押しとどめてきたのは、日本政府側という事実である。(注7)

オーストラリア政府の公文書によると、米国防総省は在沖米海兵隊基地を本国に統合する案を検討(72年10月)し、国務省も「(米軍普天間飛行場は)明らかに政治的負債だ」との見解を示した(73年1月)。しかし、日本政府が引き留めたことで、普天間を含む在沖米海兵隊基地返還の機会を逸した。
そして95年、痛ましい事件が起きた時の米軍撤退議論も、米軍駐留に固執する日本側の意向で実現しなかった。
沖縄にとって米軍の存在は「相当な歴史的恨みがある」(モンデール氏)ことを米側は知っている。普天間飛行場の移設を名目にした新基地建設など不要だ。
社説 モンデール証言 佐藤首相の約束果たせ

4. 在沖米海兵隊の削減は10年以上前に日米で合意済み。なぜ、削減される部隊のために代替施設・新基地が必要なのか ?

2006年日米合意に触れておこう。もう10年以上前の2006年に、日米両政府は、在沖米海兵隊を削減してハワイ、グアムにローテーションさせると合意している。2012年にはその計画を見直し、「普天間基地の移転を待つことなく」先行実施することとなった。この計画は、日本の防衛省の公式サイトにも書かれている。(注8)

オバマ元大統領やマティス国務長官もそのことに触れている。
オバマ元大統領「沖縄の住民の負担も考慮して、沖縄からグアムへ海兵隊を移転させる」(安倍総理との会談で 注9)
マティス国防長官「この計画には,(中略)海兵隊員らをグアムに移転すること,並びに沖縄での展開規模を縮小することが含まれる」(稲田防衛大臣との会談で 注9)
なお、この時、マティス長官が、「普天間代替施設(Futenma Replacement Facility: FRF)」という用語を使って、特定の場所 =辺野古とは一言も言っていないことにも注意していただきたい。

削減される部隊のために新基地はいらないし、普天間も必要なくなる。

宜野湾市長(肩書きは2010年記事掲載当時)・伊波洋一さん
アメリカはすでに、グアムへ沖縄の海兵隊部隊を移すことを決定しています。
米側の計画をよく調べてみれば、普天間の部隊はグアム移転が決まっている。そうなれば、普天間の「代替基地」というのは必要なくなる。当然、辺野古に新しい基地を造る必要はありません。
繰り返しますが、普天間基地の海兵隊はグアムへ行くんですよ。普天間は必要なくなります。それなのになぜ代替基地を造らなければならないのか。
「沖縄」に訊く 米軍普天間基地もんだいをめぐって

新基地が完成しなければ、海兵隊の削減もなく普天間も閉鎖できないかのように言う安倍政権の「普天間か辺野古かの二者択一論法」こそが問題の混乱の根源である。「辺野古移設が唯一の普天間の危険性除去の解決策」ではない。普天間基地の無条件閉鎖をアメリカと交渉できない日本政府側にこそ、問題がある。
また、「辺野古新基地反対派が、普天間基地の危険性を軽視している」というのは、二択を前提としたデマに過ぎない。削減される部隊のために辺野古新基地はいらないし、普天間基地は無条件閉鎖・返還。

5. 民意に従うのが民主主義の原則。

沖縄県民の辺野古新基地への民意は、明確に示された。もう何度も何度も。民主主義国家なら、民意に従うのが、当然の問題解決の道筋だ。地方自治体は、国の下請け機関ではない。国の方針に無条件で従わなければならないわけではない。

アメリカ海兵隊の基地が沖縄でなければならない地政学的理由はない。そのことは中谷氏や石破氏など政府側の政治家も認めている。本土に置くのは反対が強いからという「政治的理由」しかない。アメリカは「普天間代替施設(Futenma Replacement Facility: FRF)」という用語を使って、特定の場所を候補地として名指ししたことはない。
普天間の返還合意に当たって、移設先を沖縄に限定したのも日本政府だった。

移設先の選定を振り返り「われわれは沖縄だとは言っていない」と語った。
同氏は「沖縄も候補の一つ」と述べた上で「基地をどこに配置するかを決めるのは日本政府でなければならない」と付け加えた。
 社説 モンデール氏証言 米は辺野古見直し唱えよ

沖縄であろうと本土であろうと、在日米軍基地が「抑止力」であるという見解そのものが幻想だ。日米新ガイドラインは、日本の防衛は自衛隊が第一義的に行う、米軍は必要な支援と援助を行うと定めた。海兵隊はそもそも「防衛」のための戦力ではない。
「抑止力論や前方展開戦略は時代遅れ」という意見も広がっている。(注10)
沖縄は、中国のミサイルの射程内なので、むしろ「地政学的に」不利という意見もある。(注10、11) だから、ハワイやグアムにローテーションさせる。軍事技術の進歩により、戦力を前方展開させる必要もなくなった。

朝鮮半島では緊張緩和と和平、民族統一が進みつつある。在韓米軍の削減も議論の対象となりつつある。北東アジアの平和構想を検討すべき時に日本だけが「冷戦構造」のままでいいのか。

アメリカでも、玉城デニー氏の当選は重く受け止められ、「民主主義なら民意に従うべき」という声も多い。いよいよ今度は、日本政府が沖縄の民意にどう応えるのか、それが問われている。日本政府は沖縄と「対話」をすべきだ。

【関連記事】
辺野古工事再開強行。日米会談でも「辺野古が唯一」と合意 ? だが事実は逆。海兵隊の移転と縮小に言及。なぜメデイアは伝えない。

【普天間・辺野古問題】安保村の官僚は時の総理(鳩山元首相)すら騙して、基地を押し付ける。

辺野古新基地、国と県が和解。しかし国は「辺野古が唯一の解決策」という姿勢を崩さず。- 米軍は何度も撤退を検討。それを押しとどめてきたのは日本側。

・・・・・・・・・・・・・・

機動隊が沖縄県民に侮蔑的発言。しかし、これは沖縄だけの問題ではない。

辺野古裁判で国側べったりのトンデモ判決。普天間問題の解決は辺野古が唯一の選択肢か。

日本政府が沖縄・高江でヘリパッド工事強行。まるで現代の「琉球処分」武力弾圧。7/22が山場か。

沖縄「被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」に65,000人

あす6/19「被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民集会」。それに参加する翁長県知事インタビュー。

頭を下げるアメリカ人に強い違和感。地獄への道は善意で舗装されている。

橋下徹のトンデモ発言。だが、風俗では性暴力は防げない。軍隊の「力による支配」こそが問題。基地の大幅縮小と地位協定の抜本改正を。

またしても元米兵によるレイプ殺人事件。何回繰り返されるのか、いつまで悲劇を沖縄に押し付けるのか。

和解からわずか3日で是正指示。普天間と辺野古はセットという発想こそが迷走の原因。新基地建設の理由がない。

1997年5月15日、沖縄・伊江島の反戦地主は、基地ゲート前で餅をつきカチャーシーを踊った。
宜野湾市長選の最大の争点 辺野古移設が唯一の解決策か


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【追記 1996年以降、簡単にまとめておきます】

1996年12月 SACO最終報告。「今後5〜7年以内に普天間基地を返還する」と日米両政府は合意した。
普天間代替として嘉手納統合案やキャンプシュワブ統合案と並んで「撤去可能な海上ヘリポートを東海岸に浮かべる案」が最有力とされた。
この案は、辺野古でもなければ(場所は特定せず)、埋め立てでもなく、ましてや耐用年数200年の新基地建設ではなかった。
この案ですら地元には受け入れられなかった。

1997年12月 「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」反対16639(52.85%)、賛成14267、投票率82.45%。

《海上ヘリポートから埋め立てへ、東海岸から辺野古へ、反対から条件付き容認へ》

1997年12月 市民投票後、比嘉名護市長が橋本首相に海上基地受入を伝え、辞職すると表明。

1998年2月 名護市長選で移設容認の岸本建男氏が16,253票で当選。玉城氏と1150票差。投票率は82.35%。

1998年2月 当時の大田昌秀知事が辺野古沖への代替ヘリポート建設に反対する方針を表明する。

1998年11月 小渕首相が海上基地見直し表明。

1998年11月 知事選で稲嶺惠一が374,833票で当選。37,464票差。投票率76.54%。「撤去可能なヘリポート」ではなく「『県民の財産になる施設』として恒久的な滑走路を持つ飛行場」「15年使用期限付軍民共用」が公約だった。 

1999年11月 稲嶺知事、移設先は名護市の辺野古沿岸沖(キャンプ・シュワブ水域内)と発表。候補地決定を政府へ伝えた。

1999年12月 代替施設を「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」と閣議決定(小渕内閣)。これが自民党のいう「地元の合意」。
この時の「容認」は、『運用期限15年、軍民共用』、つまり15年後には民間空港にするという条件付きであった。
この閣議決定は小泉政権下の2006年5月廃止の閣議決定をされる。

2006年5月に日米両政府は「米軍再編ロードマップ」に合意した。
これで辺野古沿岸部を埋め立てて2本の滑走路を持つ新基地の建設と、米海兵隊員約8000人のグアム移転などが決まった。
新たにV字型の滑走路2本にする計画となった(現在の原型)。
当時の名護市長らは同意したものの、県は了承していない。
この年、同時に海兵隊の削減、海外への移転とローテーションでも日米合意。これは防衛省公式ページにも記載されている。

2012年には代替施設の完成を待つことなく移転を先行実施することとなった。移転費用は日本側負担。

なお、米軍は、辺野古の滑走路が短いことを理由に那覇空港の使用を要求しています。この件を含む8つの条件を日本側が飲まなければ、仮に辺野古新基地が完成したとしても(何年かかるやら)普天間は返還されません。この点でも、「辺野古移設が普天間の危険性除去の唯一の解決策」ではありません。辺野古完成までは普天間は返還されないということであり、仮に完成しても返還されないということになります。
<社説>辺野古撤回で聴聞 移設の前提は崩れている
米側「沖縄では那覇空港を想定」 普天間返還条件の民間施設使用
【追記 ここまで】

・注1
「移設後に海兵隊移転」 菅官房長官、辺野古移設切り離し合意無視
菅長官が日米合意と違う発言 「辺野古実現すれば米軍はグアムへ」?
普天間移設とグアム移転は連動=日米合意と食い違い―菅官房長官

・注2
なお、この時代の経過については、これらのサイトが詳しい。
宜野湾市と基地
普天間基地の歴史・成り立ち
【沖縄の真実】これが正しい 普天間基地の歴史 ~「世界一危険な基地」になったのは・・・
普天間飛行場 今昔
「普天間飛行場はもともと誰も住んでいなかった土地、後から危険を承知で住民が集まり住み着いた」というデマについては、問題が本筋からやや離れるので上記サイトを見ていただきたい。合わせてこちらも。
何もなかったところに米軍基地ができて、その周りに人が住んだの ?
ネラーさん本当に知らなかったの? 元住民を傷付ける「普天間、人いなかった」発言
普天間基地建設にまつわるデマ
普天間基地は何もないところに建設され、後から住民が周りに住み始めたの ???
「普天間」で育った記者が、全国のママ、パパに伝えたいこと
大拡散中の沖縄デマ「全く何もない土地に米軍普天間基地が建設され、周辺に人が商売目当てで集まってきた」
百田尚樹の捏造・デマ 普天間基地は田んぼ・米軍基地軍用地料の金額

・注3
 例えば1990年から95年にかけての事件・事故の主なもの
1987年には貨物船が誤爆され乗組員が片腕切断の重傷を負う事件や走行中のタクシーに実弾が撃ち込まれる事件が発生した。
この時「「We are not Your TARGET! 我々は標的ではない」というスローガンが掲げられ、そのスローガンは後の恩納村での「都市型戦闘訓練施設」反対運動(1988〜92年)に引き継がれた。
90年1月 民家に弾薬トレーラーが激突
91年6月 殺人事件
91年10月 民間車両に米兵が空砲を発砲
92年1月 米兵による強盗事件、犯人は基地内から逃走
93年4月 米兵による殺人事件
93年5月 女性暴行事件、犯人は民間機で本国へ逃亡
93年11月 傷害事件
94年7月 女性暴行事件
94年8月 強盗殺人事件
95年5月 海兵隊員が日本人女性を殴打殺害
そして95年9月 米兵による少女暴行事件
この他に書ききれないほどの、墜落、ニアミス、緊急着陸、パラシュート降下・物資投下ミス、演習による山林火災、燃料・廃油・有害物質・土砂の流出、交通事故等が存在する。
 こうした事件事故に対する議会の抗議決議は、時として、超党派・全会一致で採択され、抗議集会は、保革の枠を超えた幅広い団体が共催した。それらの運動が、今日の「オール沖縄」の原型となった。事件事故の性格上、保革を超えた抗議の声が上がるのし当然であった。

・注4
沖縄の米軍用地は、住民の土地を取り上げて作られた関係で私有地・公有地が多く、国有地は少ない(それぞれほぼ1/3ずつ)。私有地・公有地の場合は土地所有者に対し国は賃貸借契約を結び、その土地を米軍に又貸ししている。この賃貸借契約を拒否している、いわゆる「反戦地主」の土地は強制収用されている。収用期間は、無期限ではなく、最長でも20年のため、何年かに一度、収用期限が切れる前に次の収用手続きを終わらせる必要がある。収用手続きの一環として、土地所有者に対して起業者(国)は、実測図面を添付した土地・物件調書に対して署名捺印をさせる必要がある。しかし、反戦地主は、実測図面ではないこと、地籍そのものが沖縄戦の結果不明瞭であること、基地内の自分の土地に立ち入ることもできず現認できないこと、などを理由に署名捺印を拒んだ。土地所有者が署名捺印しない場合は市町村長に、市町村長も署名しない場合は県知事に「代理署名」をさせなければならないが、大田県知事はこの「代理署名」を拒否した。この代理署名拒否は裁判になった(国が県知事を訴えた職務執行命令訴訟)。
この件に懲りた国は法律を改悪して、県知事の代理署名を不要とし国の直接執行事務とした。
また、準司法的機関である土地収用委員会の採決が出なくても、暫定的に(無期限に)土地の強制使用を継続できるとした。この時の手続きでは、手続きが間に合わず「法的空白期間」が発生した。

・注5
米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言
同じ記事中「一方、日本政府の対応に関しては「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と振り返り、在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたと明かしている」という点にも注目していただきたい。この時も、米軍の撤退・削減を押しとどめたのは日本政府側だった。

・注6
その経緯については、「過去記事「【普天間・辺野古問題】安保村の官僚は時の総理(鳩山元首相)すら騙して、基地を押し付ける」」を参照していただきたい。

・注7
この件の詳細は、「外部サイト」の1ページ目真ん中あたり、「過去記事」の後半部分を参照していただきたい。

・注8
防衛省の公式サイト 在沖米海兵隊のグアム移転の経緯・概要
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/saihen/iten_guam/index.html
2012年(平成24年)4月「2+2」共同発表における再編計画の調整
○ 海兵空地任務部隊(MAGTF)(司令部+航空・陸上・支援部隊)を沖縄、グアム、ハワイに分散配置、豪州へローテーション展開
○ 要員約9,000名(司令部+実動部隊)とその家族が沖縄から日本国外に移転。

沖縄の海兵隊の主力部隊はグアムへ移転する方針がすでに決まっている。
アメリカの海兵隊は沖縄でなくとも機能する
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015101500002.html?iref=wr_fbpc

アメリカ海兵隊の行方――普天間は固定化されるのか 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700011.html
日米両政府は2月8日、米海兵隊普天間飛行場の移設と在沖海兵隊のグアム移転を切り離し、海兵隊のグアム移転を先行させることで合意した。

「沖縄の海兵隊をめぐる米国の政治過程」

クリックしてh26joint-a.pdfにアクセス

http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/chian/research/documents/h26joint-a.pdf(リンク先記事は閉鎖されている ?)
2005 年に登場した沖縄県内における普天間飛行場代替施設(Futenma Replacement Facility: FRF)の建設と海兵隊グアム移転のパッケージ案は、普天間 飛行場の移設手続きを加速させ、こうした政策課題の解決に寄与するものとみられ た。しかし、この計画は実現をみないまま、2012 年に再び 2 つの案は切り離され、 グアム移転が部分的に先行実施されることとなった。

米Bloomberg Businesswek誌が2012年2月3日
米国防総省の決定を報じた――沖縄に駐留する海兵隊を、普天間基地の移転を待つことなく、グアムへ先行移設する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120207/226952/?rt=nocnt
在沖海兵隊のうち4500人をグアムに移転する。4000人をオーストラリア、フィリピン、ハワイへとローテートする。
2006年の日米合意(再編実施のためのロードマップ)は、1)普天間基地を辺野古へ移転した後、2)米海兵隊8000人をグアムに移す。その後、3)嘉手納以南の米軍基地6施設を返還する、という3つの措置をパッケージで実行することを決めた。すなわち、普天間基地を辺野古へ移転しなければ、米海兵隊のグアム移転はできないこととなっていた。それが今回の決定で、辺野古飛行場が完成しなくても、普天間基地に駐留する海兵隊をグアムへ移転させることになった。

在日米軍再編見直しは日米の窮余の一策 2012年2月の記事
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2012021700013.html
2006年に日米合意した約8000人の海兵隊員とその家族約9000人のグアム移転をめぐる再検討だ。日米両政府は同8日、これまでリンクさせてきたグアムへの海兵隊移転と普天間移設とを切り離すと正式に発表。その際、出された基本計画によると、海兵隊員の一部移転や米軍嘉手納基地以南の米軍5施設の返還を先行させて進め、今年6月にも予定されていた普天間飛行場の県内移設にからむ埋め立て申請を先送りすることも決まった。

沖縄の海兵隊グアム移転、予算執行へ 米議会が合意
米上院、在沖縄海兵隊のグアム移転容認 法案可決 2014年12月
http://www.asahi.com/articles/ASGD3265CGD3UHBI006.html?iref=reca
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H16_T11C14A2NNE000/
http://www.sankei.com/world/news/141205/wor1412050049-n1.html
沖縄県に駐留する米海兵隊の一部をグアムに移転させる計画について、米議会は予算関連法案に盛り込んでいた予算執行の凍結を解除すると決めた。
日米両政府は、グアム移転計画の費用を86億ドル(約1兆200億円)と見積もり、うち28億ドル(約3300億円)を日本政府が負担することで合意している。
在沖縄海兵隊のグアム移転費の執行凍結を解除し、移転作業を容認する内容。
日米両政府は、在沖縄海兵隊約1万9千人のうち4千人をグアムに移転すると計画。

・注9
辺野古工事再開強行。日米会談でも「辺野古が唯一」と合意 ? だが事実は逆。海兵隊の移転と縮小に言及。なぜメデイアは伝えない。参照。

・注10

米誌『フォーリン・アフェアーズ』電子版7月25日付は、「海外基地はもはや戦略的資産ではない」とする米シンクタンク・ケイトー研究所員の論評を掲載。海外基地を合理化する際、頻繁に持ち出される「抑止力」論について、実際には何の効果もないどころか、敵の近くに基地を置くことで「恐怖を呼び起こし、対抗行動を誘発しかねない」として、不必要な紛争を引き起こす要因になる可能性を指摘しています。さらに、日本を含む北東アジアの航空基地の90%以上が中国の弾道ミサイルの射程内にあるとして、海外基地は「優先度の高い標的になりうる」と述べています。
また、ランド研究所は、軍事技術の進歩により、「軽度の陸上部隊なら、米国からどの地域へも、地域内から空輸するのと同じ早さで空輸できる」と述べ、軍事戦略上も海外に兵力を張り付ける必要性は低下しているとの見方を示しています。
 在外米軍 過去60年で最少 昨年9月末 日本駐留 国別で最多

各地で米軍は削減されているが、日本は突出して、米軍が多い。”これだけの米軍がいることが「異常」だという認識を持つところから出発する必要があります。”

・注11
沖縄が中国のミサイル射程圏内に。米シンクタンクの「中国脅威論」
ナイ氏もおんなじことを言うてる…


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